米子城跡

観光地ガイド

米子城跡吉川広家が天正19年(1591年)に、戦国武将の吉川広家が湊山に四重櫓を建設。



米子城跡吉川広家が天正19年(1591年)に、戦国武将の吉川広家が湊山に四重櫓を建設。その後、慶長6年(1601年)に、駿河の国から伯耆の国城主として米子へ来た中村一忠が五重の天守閣や四重の小天守が併設し、名実ともに山陰一の名城となった。ところが、寛永9年(1632年)に中村家は断絶。米子城は鳥取藩の家老、荒尾成利の預かりとなり明治の始めにわずかな値段で売り払われた。明治7(1874年)廃城令で取り壊された。現在は本丸、二の丸、三の丸、石垣などの遺構が残っている。また、城山一帯は湊山公園と呼ばれ、市民の憩いの場となり、桜の名所としても知られ、多くの観光客で賑わっている。

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