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 松浦氏の居城で別名亀岡城と呼ばれていた。平戸市街の東部に位置し、平戸港を見下ろす絶好の立地条件を誇る。松浦氏は始祖を嵯峨天皇の皇子源融(とほる)とし、嘉禄元年(1225年)頃に平戸港北側に御館山城を築き、松浦氏は正平7年(1352年)に白狐山城、慶長4年(1599年)と変遷をくり返しながら、平戸港周辺の勢カを拡張し、豊臣秀吉から領知の承認を得た。しかしその後、慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いでは、積極的な動向を表わさなかった為、徳川政権に豊臣派として疑われ、慶長18年(1613年)に築城した岳城を焼却し、恭順の意を表した。焼失した日の岳城に替る居館として、元和6年(1620年)頃に平戸港の北側の御館山城跡の下方に御館を建設した。その約90年後の第5代藩主松浦棟になって、亀岡に平戸城の再築を幕府に願い出て、宝永元年(1704年)に着手し享保3年(1718年)に完成。本丸、二の丸、三の丸、白浜廓、外廓からなる。現在の各櫓は昭和37年(1962年に復元したもので、平戸一の観光名勝で全国から観光客がお訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが、南山手の丘に住宅を建設したのは文久年(1863年)だった。大浦天主堂の横、長崎港を望む小高い丘の外国人居留地跡の広さ3万3000㎡の園内に、国指定重要文化財の旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅など9棟の明治の洋館を移築復元した施設。石畳の回遊道路がめぐらされ、異国情緒あふれる観光名所になっている。裏手には馬小屋や貯蔵庫なども残っており、三菱重工業 長崎造船所を見下ろす位置にあったため昭和14年(1939年)に戦艦武蔵の建造を秘匿の目的で買収され、所有が三菱重工業へと移った。昭和32年(1957年)には同造船所の創業100周年を記念して長崎市へ寄贈された。昭和36年(1961年)に主屋・付属屋が国の重要文化財にに指定された。長崎くんちの資料を展示した長崎伝統芸能館や,歌劇・蝶々夫人を演じた三浦環像もあり、我が国を代表する観光スポットで連日観光客が訪れている。

 日本最古の石造りアーチ橋が眼鏡橋。しかし実際は琉球王国時代の天女橋が一番古いとされている。しかし今日では観光地の長崎には欠かせない観光スポットの一つ。その歴史は古く寛永11年(1634年)に、興福寺の二代目重職だった黙子如定が架けたが、慶安元年(1648)の洪水で損壊。その後も度重なる水害で破損するが修復して来た。昭和57年(1982年)の長崎大水害では中島川の橋が流失し、眼鏡橋破損した。橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46mで国の重要文化財に指定され長崎の観光パンフレットには必ず掲載されている観光の名所。