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1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「福島県+観光の四方山話」が付けられているもの

 江戸時代の町並みを今に残す宿場が大内宿。当時は会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ、32里の中で会津から2番目の宿駅として、寛永17年(1640年)頃に整備された宿場町。全長450mの往還する道路の両側には、30軒以上の茅葺き屋根の民家が並び、江戸に向かう大名や旅人が利用した重要役割を担っていた。記録によると天正18年(1590年)に伊達正宗が小田原参陣の時、また同年に豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行している。今日では、年間120万人もの観光客で賑わう福島を代表する観光地。一度は行ってみたい観光スポットである。

 奥州関門の名城と謳われた小峰城。結城親朝が14世紀中頃に、小峰ケ岡に城を設け小峰城と名付けた。江戸時代には初代藩主・丹羽長重公が4年の歳月をかけ、完成寛永9年(1632年)に完成させた梯郭式の平山城。それ以後、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城したが、慶応4年(1868年)の戊辰戦争白河の戦いで落城。平成3年(1991年)に三重櫓、平成6年(1994年)に前御門が古図により忠実に復元された。平成22年(2010年)に、歴史的な重要性が評価され、国指定史跡に指定された。三重櫓は本丸の北東隅に建つ三層三階の櫓。一国一城令以後の築城で、大規模な天守ではなかったものの、奥州関門の名城にふさわしい外観をしていた。今では隠れた福島の観光スポットで、時折観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 磐梯山南麓にあるほぼ円形の湖で、日本では琵琶湖、霞ヶ関、サロマ湖に次いで4番目に大きい湖。最大深度は93.5m。湖面の標高は514mと高い。磐梯朝日国立公園の中心をなす観光地で、磐梯山南麓には数多くのスキー場が点在。 またいろいろなの源泉があり、豊富に湧き出てくる湯は訪れる観光客に好評。縄文時代中期から後期にかけて、現在より、湖の水位が低く、湖北部の沖で土器が出土する。江戸時代は湖上の交通が発達し、廻米などに利用された。今日では福島県を代表する観光スポットで、日本百景にも選定されている。湖北岸には重要文化財の天鏡閣や野口英世記念館もあり、観光にはことかかない。

 至徳元年(1384年)に葦名氏七代直盛が黒川城を築いたのが発祥で、天正17年(1589年)に伊達政宗が葦名義広を制圧し会津を領する。しかし翌年豊臣秀吉に怒りをかい召し上げられ為、蒲生氏郷が入封し、黒川城を大改修して鶴ヶ城と改称、城下を若松と名づけた。その後、上杉謙信の養嗣子上杉景勝(1555年-1623年)が、豊臣政権の五大老に列し会津に転封。関ケ原の戦いに西軍に呼応し、家康の打倒を図ったが敗戦して米沢へ移封。寛永20年(1643年)には保科正之が入城。三代藩主正容が松平氏を称し、その容保は京都守護職に任ぜられ公武合体を推進。意に反して鳥羽伏見の戦いで朝敵とされ、会津戦争に突入。1ヶ月の篭城に耐えたが開城後降伏。現在の天守閣は昭和40年(1965年)の再建し、会津若松のシンボルとして観光にも寄与している。平成16年(2004年)に天守閣内部をリニューアル。平成23年(2011年)に全国でも稀な赤瓦の天守閣へと生まれり、今日では観光客はもちろん修学旅行や団体客が観光に訪れている。

 江戸時代にタイムスリップしかかのような街並みが、今も残る大内宿。下野街道と呼ばれ、当時は会津と日光を結ぶ重要な街道で、その両脇には茅葺きの民家が軒を並べ、江戸へ向かう大名や旅人の宿場として重要な役割を果たしてきた。また30軒以上の茅葺きの民家が並ぶ様子は極めて珍しく、寄棟造りの建物が道路と直角に整然と並べられているも特徴。現在も100万人以上の観光客が訪れ賑わいを見せている。昭和56年(1951年)重要伝統的建造物保存地区として選定され、全国の観光客から脚光を浴びている。

 38部屋もある会津藩家老・西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財の旧中畑陣屋や数寄屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を並べる屋外博物館(ミュージアムパーク)。敷地内には当時の面影を再現したろう人形がリアルに表現している。そして会津歴史資料館、会津の代表的な仏画など展示した美術館や会津・福島の名品を揃えた総合売店。会津の伝統的な郷土料理が味わえるレストランなどが併設。赤べこや起き上がり小法師の絵付体験もできる。 また、会津武家屋敷、西郷頼母邸や会津の歴史など学びながら楽しく見学できる探検クイズカードを用意し、全問正解者には記念品贈呈。