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1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「神奈川県+観光の四方山話」が付けられているもの

 平成5年(1993年)に地上70階、高さ296mの超高層ビルで横浜のシンボル。当時では日本一の超高層ビルだったが、現在はあべのハルクスに次いで2番目に高い。69階には展望台フロアのスカイガーデンを設置し、全国からの観光客で訪れ69階からの景観を堪能している。低層部にはショッピングモールのランドマークプラザが併設され、ショッピングが楽しめる。ホテルやホールなどが入っています。また日本に現存する商船用石造りドックが国の重要文化財に指定され、そのドックヤードガーデンについても解説している。

 横浜港にある歴史的建築物で横浜を代表する観光スポット。江戸時代は200年以上続いた鎖国が終わり、世界に門戸を開いた。その交易の中心のなったのが横浜。横浜赤レンガ倉庫はこうした時代の要請によって保税倉庫として建設された。当時の最先端技術を駆使し、鉄と煉瓦が組み合わされた構造で、我が国の主要な煉瓦造建築の一つ。ペリーが来航した時は、100戸人口500人歩程の小さい村だったが、横浜村が開港の場所と定められ、横浜の都市としての歴史が始まった。現在は赤レンガパークとして整備され、横浜を代表する観光施設となり、大勢の観光客が訪れている。

 箱根を代表する観光スポットの大湧谷。歴史は古く、約3000年前の箱根火山で水蒸気爆発より山崩れが発生し、爆裂火口跡に堆積物が貯まった。さらに約2900年前に小規模の火砕流が発生し冠ケ岳ができ、大地から熱い水蒸気と硫気の噴煙が噴出し、現在の大湧谷となっている。江戸時代は大地獄と呼ばれて人々に恐れられていたが、明治9年(1876年)に明治天皇・皇后の行幸啓の際に大湧谷と改称された。現在では一年を通して観光客で賑わう観光地となっている。また南西の岩場には閻魔台、北東には涌いた水を温め、強羅や仙石方面へ湯を送っている、地獄沢という噴気帯が点在している。

 安政6年(1859年)、横浜港が開港する前は横浜新田と呼ばれていた中華街。明治元年(1868年)に横浜に暮らす中国人、いわゆる華僑役1000人が居住し、関帝廟、中華会館などが設け中華街の原型ができた。明治32年(1899年)、居留地が廃止され人口は増加。20世紀初頭には5,000人に達し、華僑社会はさらに発展したが、大正12年(1923年)の関東大震災で、古いレンガ造りの建物が密集していた中華街は、壊滅的な打撃を受けた横浜華僑は200人ほどに激減。昭和に入ると華僑も3000人あまりに回復するが、昭和12年(1937年)の日中戦争で両国の関係は悪化し、多くの中国人は中国に撤退する。昭和20年(1945年)の終戦とともに復興が。翌年には関帝廟と横浜中華学校が再建され、中華街と改め今日に至っており、横浜には欠かせない観光コースとなっている。また全国から大勢の観光客が押し寄せ連日賑わいを見せている。大型観光バスの駐車場完備。

 観光地・箱根にあって、天平宝字元年(757年)に万巻上人によって創建された箱根神社。その歴史は古く、箱根三所権現とも云われ
、山岳信仰の霊場として多くの信仰を集めてきた。鎌倉時代には源頼朝をはじめ多くの鎌倉幕府要人から敬われた。今日でも木造万巻上人坐像(国重文)をはじめ貴重な社宝が数多く残されており、交通安全・心願成就・開運厄除など、運開きの神様として信仰されているが、箱根の観光スポットの一つになっている。また800年を越す杉並木が続く参道は、とても神聖な雰囲気で訪れる参拝客や観光客の参拝は耐えない。

 19世紀から20世紀にかけ40数国、4,400人余りの外国人が葬られている横浜外人墓地。1854年(完泳年)にアメリカ海軍の水兵の急逝により、海の見える所に墓地を希望したペリー提督の要望通り、外国人専用の墓地が定められたのが始まり。
この墓地は、明治以降は政府から諸外国公館(各国領事団)に貸し与えられた5600坪(約18,000㎡)野広さを誇っている。
 今日では横浜を代表する観光のメッカとなり、全国から数多くの観光客が訪れている。