全国の観光施設や観光情報、宿泊施設・名産品などを紹介するインターネット検索サイト

温泉ナビ 温泉情報検索サイト

1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「沖縄県+観光の四方山話」が付けられているもの

 琉球王朝の王城で、14世紀末より琉球王朝時代の政治文化の中心として、貿易で繁栄した。その規模は沖縄県最大だったが、戦前は正殿などが国宝指定されていたが、昭和20年(1945年)の沖縄決戦や琉球大学の建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の一部が残ったいる。昭和55年(1980年)に琉球大学の移転に伴い、本格的な復元が行われ、平成4年(1992年)に正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。平成11年(1999年)にはNHK大河ドラマ琉球の風の舞台になった。平成12年(2000年)には、琉球王国のグスク及び関連道産群として世界遺産に登録され、沖縄を代表する観光地で多くの観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 昭和20年(1945年)、玉城村に米軍の艦砲射撃が始まり、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員生徒297名が、看護要員として南風原陸軍病院の勤務についた。戦闘が激しくなり前線から運ばれる負傷兵が激増し、病院の壕はたちまち超満員となった。その年の5月に日本軍の撤退が始まり、第三外科は現在のひめゆりの塔の壕の中だった。米軍が間近に迫った6月18日、戦局が絶望的になり学徒隊は解散を命じられた。しかし既に沖縄のほぼ全域を米軍が支配し、周辺も既に激しい砲撃に晒されていた。地下壕から出ることは死を意味していたが、そこに黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名のうち87名が死亡。戦後、二人の娘の行方を捜して金城和信夫妻によて、第三外科壕が探し当てられた。真和志村民の協力により、昭和20年に最初のひめゆりの塔が建ち、次第に整備されていった。第一高等女学校の職員や生徒名の戦没者を合祀して白百合のかおりをほこった御霊み心をうけ、平和の原点としたのが、ひめゆりの塔だた。今日では沖縄を観光で訪れて観光客に強烈な印象を与え、二度とこんな悲惨な戦争をしてはならないと戒めている。大型観光バスの駐車場完備。

 沖縄県恩納村にあり、沖縄を代表する観光地が万座毛。隆起した高さ約20mの珊瑚岩から成る絶壁で、それはあたかも象の鼻のような形をしている。万座毛一帯は足元がすくむほど崖が続き、眼下には広がる美しい海を望む。また沖縄海岸国定公園に指定され、夕陽の美しさは観光客に人気を博している。崖の上は天然の芝や海岸性の植物 覆われた緑の広場になっており、柵がない場所で崖に近づくと転落するおそれがありますので十分注意して下さい。「万人が座れる毛(もう。野原のこと)」という名前の由来を感じさせ、近くにはリゾートビーチやホテルも多く、沖縄観光には欠かせない存在。