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1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「愛知県+観光の四方山話」が付けられているもの

 名古屋の都心にあり交通至便な東海地区にあり、約60haの敷地を誇る緑豊かな東山動植物園は、動物園、植物園、遊園地、東山スカイタワーなど一日では廻れないほど様々な魅力に溢れている観光スポットでもある。動物園には人気者のコアラやキリン、大きな動物の像や小さなメダカまで約550種の動物を飼育している。また世界のメダカを集めた世界のメダカ館、夜行性動物達の様子のわかる自然動物館、こども動物園などがある。植物園には大温室を始め約7,000種の植物が楽しめる。平成17年(2005年)から平成21年(2009年)までの5年間は、北海道の旭山動物園次ぐ3位だったが、平成22年(2010年)の年間入場者数は、国内では上野動物園に次ぐ約218万人越え、全国から団体の観光客や少人数の観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 豊国神社は日本全国各地にあるが、名古屋の豊国神社は天文6年(1534年)に、豊臣秀吉が生まれた中村に近いので有名。社殿の東側には豊公誕生之地と記された碑があり、観光で訪れた観光客も参拝している。この豊国神社は明治18年(1885年)に豊臣秀吉の出生地を記念して建立された社。豊国神社周辺は中村公園として整備され、東には秀吉が産湯に使ったという井戸がある常泉寺、西には秀吉の一生を資料やパネルなどを使い展示している秀吉清正記念館があります。名古屋の観光名勝になっており大勢の団体の観光客や少人数の観光客で賑わっている。大型観光バスの駐車場完備。

 トヨタ自動車株式会社創立50周年 記念事業の一環として、昭和64年(1989年)にオープンしたトヨタ博物館。国産や欧米車140台を常設展示し、自動車の歴史を学び、人と車の豊かな未来のために役立ててるように、世界レベルの博物館を目指している。所在地が愛知県長久手市で、今まで観光とは無縁に近い所だったが、この博物館に訪れる観光客も増え、観光にも貢献している。企画展も年に数回開催し、自動車を時代やテーマで切り取り紹介。さらに自動車文化の醸成と地域貢献を目的に、全国から約100台の一般参加車両を募集して公道パレードや、当館所蔵車の走行披露を行っている。クラシックカーフェスティバルも年に2回開催している。今日では愛知県を代表する観光スポットになり大財の観光客が訪れている。大型観光バスの津雄娑婆完備。

 愛知県小牧市のほぼ中央に位置し、標高86mの山にある小牧山城。永禄3年(1560年)に織田信長が築き居城にいしていた。永禄10年(1567年)に信長は斎藤龍興を滅ぼして、岐阜城に移ると小牧山城を廃城した。小牧・長久手の戦いでは、徳川家康が小牧城址に本陣を置き城を修築した。江戸時代には、尾張藩が管理していた。標高85.9m、面積約21万㎡。昭和2年(1927年)一般に公開、この年国より史跡の指定を受け、その後徳川家から小牧町へ寄付された。現在、山頂にある天守閣風建物は昭和42年(1967年)に建てられた物で、この建造物ができてから観光客も増え、特に4月の桜の季節には観光目的の観光客で賑わう。大型観光バスの駐車場完備。

 愛知県犬山市にある野外博物館で、昭和40年(1965)創立。明治時代の建築物を移築し復元させた歴史資料を収集・保存・管理し、大勢の観光客が尋ねている。主な建築物には明治12年(1879年)建築の三重県庁舎や明治40年(1907年)建築のヨハネス教会堂そして明治31年(1898)建築の札幌電話交換局などいずれも国指定の重要文化財や国登録の有形文化財の大正12年(1923年)建築の帝国ホテルの中央玄関など、約100万平方mの敷地に、重要文化財を含む60以上もの建造物が並び、家具や調度品も当時のものを揃えて公開しており、愛知の観光ルートには欠かせない観光スポットで、団体の観光客や少人数の観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 熱田大神を祭神とし、熱田さまと呼ばれ、伊勢神宮に次いで権威のある神社として知られて、名古屋周辺のみならず全国からあつい崇敬を集める古社。また三種の神器の一つ草薙剣を祭神とする由緒ある古社で、約9万㎡を誇る境内は広く、信長塀や巨大な佐久間灯篭などは有名。神苑には楠、欅、樫、椎、椋、銀杏、黒鉄黐などの 樹木が育ち、四季を通してさまざまな景観を呈している。名古屋を観光で訪れた観光客の殆どは参拝しており、愛知の観光名勝となっている。大型観光バスの駐車場完備。

 起源は15世紀前半まで遡る。明大寺に西郷頼嗣が築城したのが岡崎城の始まりで、享禄4年(1531年)に松平清康(家康の祖父)が、現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称された。天文11年(1542年)、徳川家康は、この城内で誕生した。また家康は6歳で織田信秀、8歳で今川義元の人質となり、幼い少年期を他国で過ごした。永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦で、今川義元は信長に滅ばされことを契機に自立した時は19歳。以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めた。文禄元年(1592年)に、総延長4.7km及ぶ総堀を造った。また、元和3年(1617年)の本多康紀のときは、三層三階地下一階の天守閣が建てた。しかし明治6年(1873年)に城郭の大部分が取り壊されたが、昭和34年(1959年)にほぼ昔通りの天守閣が復元され、岡崎のシンボルとともに観光の名勝になっており、観光目的の観光客の大半は訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 室町時代の天分年(1537年)に、織田信長の叔父である織田信康によって創建された犬山城。天守は現存する日本最古の様式で、木曽川の南岸にそそり立つ小高い山に、造られた犬山城は別名白帝城と云われている。尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わった。信長没後、天正12年(1584年)小牧・長久手の合戦で、羽柴秀吉が12万人の大軍を率いて入城。小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をした。江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続いたが、明治維新による廃藩置県で愛知県所有した。しかし、明治24年(1891年)の濃尾大地震により西面北端の付櫓や城門の一 部が倒壊、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となった。平成16年(2004年)に財団法人に移管するまで日本で唯一個人所有の城だった。今日でも城郭探索を兼ねて観光客が訪れている。愛知県の観光名勝になっている。

 名古屋城といえば織田信長を連想される人も多いが、信長は清須、小牧、岐阜、安土と居城を移した為、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582年)頃廃城となり、跡地は雉が多く住む野原となったなった。しかし慶長15年(1610年)、徳川家康が外様大名を動員し、天下統一の最後の布石として築いたのが名古屋城。元和2年(1616年)に家康の九男義直が入城し、それ以来、徳川御三家筆頭、尾張藩61万9千石の牙城となる。勇壮な天守閣と優美な御殿が並び建つことで、名古屋城は城郭建築としての風格を形成し、昭和5年(1930年)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945年)、米軍の空襲で天守閣などがほとんどの建物を焼失した。昭和34年(1959年)、天守閣が再建されたが、本丸御殿など江戸時代の文献や多くの写真、実測図が残されていた為、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能だった。西北・西南・東南の各隅櫓と表二ノ門が元の建物が現存していた。本丸を囲む石垣や空堀・外堀などは原形を伝え、二ノ丸庭園も一部だけ残っていた。今日では愛知を代表する観光スポットとなり、全国から観光客が押し寄せている。大型観光バスの駐車場も完備。

 豊川稲荷の名で広く知られているが、一般的には狐を祀った神社と思っている人が多いが、実際は円福山豊川閣妙厳寺と称する寺院である。その歴史は古く、嘉吉元年(1441年)、曹洞宗法王派の東海義易によって創建。室町時代末期には、今川義元が伽羅を整備した。開祖の東海義易は幼名を岩千代といい、9歳の時に曹洞宗法王派5世の華蔵義曇の元で仏門に入った。そして、東海地方における法王派の拠点となる普済寺で修行し、その後、諸国の行脚に入っり、永享11年(1439年)に、荒廃し歓喜院を再建し曹洞宗に改め、その2年後、豊川の円福ヶ丘の地に妙厳寺を建立したのが豊川稲荷。日本三大稲荷の一つに数えられ、連日観光バスが押し寄せ大挙観光客を運んでおり、またマイカーの観光客も賑わっている。