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1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「山形県+観光の四方山話」が付けられているもの

 上山城は、天童一門の上山氏が持っていたが、永生5年(1508年)に伊達家に攻め落とされ、城主の上山義房は滅亡した為、伊達家の家臣小簗川貞範が城主になった。その後、上山義房の子武衛義忠が城を奪還し再築した。天正8年(1580年)に義光は上山城を攻め落とし、最上氏の城となった。元和8年(1622年)に最上氏が改易となり、上山藩の本城として、能見松平家、蒲生家、土岐家、金森家、藤井松平家と城主がめまぐるしく変わりながら明治に至ったが、明治の廃城令により、城が取り壊された。昭和57年(1982年)に、二の丸跡に三層模擬天守は建立され、今日では上山市の観光のメッカとなり、観光客で賑わっている。大型観光バスの駐車場完備。

 江戸時代、戦国時代の名将・上杉謙信の遺骸は、米沢城本丸の南東隅位置する御堂に安置され、歴代藩主の位牌と共に、真言宗寺院で手厚く祀られていた。 明治9年(1876年)上杉謙信公、上杉鷹山公を祭神として、米沢城本丸跡に建立されたのが上杉神社。明治35年(1902年)に、別格官幣社に指定され、祭神は上杉謙信公のみとなり、上杉鷹山公は摂社に祀られ松岬神社となった。大正8年(1919年)に起こった米沢大火で、ほとんどの建物が焼け落ちた。その後、国の援助金や米沢市民の労働奉仕により、大正12年(1923年)、現在の神社が完成。設計は米沢出身で、神社建築の第一人者伊東忠太博士。今日では米沢の観光の拠点となり、県内外からの観光客が訪れている、米沢には欠かせない観光スポットである

 新井田川の河口近くに位置する白壁、土蔵造りの山居倉庫。庄内米の貯蔵庫でその歴史は藩政時代に遡る。現在の倉庫は明治26年(1893年)に建てられたもので、土蔵造12 棟があり、倉庫前の船寄や裏手のケヤキ並木と相まって往時を偲ばせている。米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK連続テレビ小説おしんのロケーション舞台でも知られる。倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。高温防止の為に欅並木を配し、湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫。現在も現役の農業倉庫でだが、酒田の欠かせない観光スポットになっており、観光パンフレット片手の観光客が増えている。

 銀山温泉の開湯は古く、寛永年間にかつてこの地にあった延沢銀山の鉱夫たちが銀山川に湧く温泉を見つけた。
元禄2年(1689年)に銀山が閉山した後に湯治場として賑わったが、大正2年(1913年)の大洪水で、温泉街は衰退した。しかし地元財界の力で復興した。銀山川の両側には大正から昭和にかけ建てられた、三層四層の木造の宿がズラリと建ち並び、タオル片手の浴衣姿の湯治客がのんびり下駄をならして歩いている。またNHKの連続テレビ小説「おしん」の舞台となったことで全国に知られるようになり、当時を兼ねたの観光客が多くなった。今も大正時代の面影を色濃く残す街並が、ガス燈に照らされ情緒豊か風情を楽しめる。山形の隠れた観光名所で人気を博している。

山寺

 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ松尾芭蕉の句で有名になり、今や山形県の観光名所に欠かせないスポット。貞観2年(860年)に、清和天皇の勅願のよって、慈覚大師が開いた天台宗の名刹。正式名称は宝珠山立石寺で、山寺の名で親しまれている。1015段の石段を上るのは少し大変だが、半分ほど登った所には「せみ塚」が芭蕉の句が刻まれている。また嘉永元年(1848年)に再建された仁王門は、ケヤキの門で左右には仁王尊像が安置されている。堂の舞台からの景色の眺めは素晴らしい五大堂は山寺随一の展望台。国指定重要文化財の根本中堂は、延文元年(1356年)に初代山形城主・斯波兼頼が再建。入母屋造・5間4面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古と云われている。堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置され、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することができる。見所一杯の山寺は老若男女が、連日押し寄せる観光スポットになっており。また麓には観光客相手の土産屋も立ち並んでいる。