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1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「山口県+観光の四方山話」が付けられているもの

 維新を先導した吉田松陰が殉節されてから31年後の明治23年(1890年)に、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われた。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る小さな祠が建立された。これが松陰神社の前身である。明治40年(1907年)に伊藤博文らによって松蔭神社建立され、境内には国指定史跡の松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅、遺墨展示館・吉田松陰歴史館なども建ち並んでいる。戦後の社会情勢が落ち着き、厚東常吉などが中心となり、新社殿屋根を銅版に葺き替えなどの改修工事で、昭和30年(1955年)に御祭神が新社殿に遷座された。翌昭和31年(1956年)には、旧社殿を新社殿北隣に移し、末社・松門神社が建立。平成22年(2010年)、松陰先生御生誕180年記念に10柱を追合祀し、現在その御祭神は52柱がある。歴史を訪ねたの観光には欠かせない観光スポット。大型観光バスの駐車場完備。

 岩国城と城下町を繋ぐ橋が、錦川の洪水で幾度となく流された。3代目領主の吉川広嘉が、洪水に耐えられる橋の造営に着手した。広嘉は明の帰化僧である独立性易から、杭州の西湖に6連のアーチ橋があることを知り、連続したアーチ橋という基本構想に至った。アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられると発想し、大工の児玉九郎左衛門に命じ、延宝元年(1673年)に5連のアーチ橋の錦帯橋が完成した。しかし翌年、洪水によって流失してしまったので、橋台の敷石を強化して再建した。この改良が功を奏し、昭和期まで250年間以上流失することなく残った。また定期的に架け替え工事が行われその姿が保たれた。橋は長さ193.3m幅5m。 木と木の組合せによって支えられ、巻金とかすがいは使われてる。現在の橋は四代目となる。また桜の名所として吉香公園とともに日本さくら名所100選に選定されており、この時期は特に観光を兼ねた観光客も多く賑わう。大型観光バスの駐車場完備。

 平成8年(1996年)7月に関門海峡のランドマークとして誕生した海峡ゆめタワー。平成6年(1994年)に建設が始まり、平成8年(1996年)に完成。3層からなる球状の最上階の展望室は、日本有数の143mを誇り、今や山口県の代表的な観光スポットになっている。その展望室からは、瀬戸内海をはじめ関門海峡、巌流島、九州の連山そして響灘(日本海)と360度の大パノラマが一望に広がる。夜はライトアップされ関門橋や下関、門司港の夜景が満喫できる。観光バスやマイカーでの観光客で賑わいを見せている。観光バスの駐車場も完備。