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 観光地の長瀞町に、標高約497mの宝登山の山頂と山麓を結ぶ宝登山ロープウェイ。山麓駅と山頂駅は標高差約236mで、ロープウェイの全長は約832mで、つるべ式の四線交走式システムで運行。2台のゴンドラはモンキー号とバンビ号の名称で親しまれ、どちらの名前も、山頂の宝登山小動物公園(昭和35年野猿公園としてオープン)で飼育されているニホンザルとカモシカに因んでいる。山頂周辺にはロウバイ、梅、ツツジ、シャクナゲ、冬桜など四季折々の花が植栽され、秩父連山の山並みとともに堪能できる。山頂駅から徒歩5分で宝登山神社縁の奥宮が奉られている。長瀞を訪れる多くの観光客が訪れる観光名勝でもある。

 長瀞観光の代名詞ラインくだりは、国の特別天然記念物に指定されている、巨大な一枚岩が隆起したの岩畳の中をゆったりのんびりと、時にはスリリングに川下りの醍醐味を味わえる。ライン下りの船は木造の和船に乗りで、昨今はラフティングも楽しめる。ルートは3種類あり、Aコースの親鼻橋から岩畳まで3km、Bコースの畳から高砂橋まで3km、全コースのAB両方のコース6kmがある。また夏は涼風を求めて、秋は紅葉の渓谷美を眺めながら、冬はコタツ船でほんのりぽかぽか暖をとりなながら季節を堪能でき、小さな子様からシニアまで誰でも楽しめる。

 平成18年(2006年)に閉館した交通博物館に替わり、JR東日本の創立20周年記念事業のメインプロジェクトとして、平成19年(2007年)に開館した鉄道博物館が大宮市に開館。メイン展示は館内の約半分のスペースを占有するヒストリーゾーン。ここは日本の鉄道の始まりだった、明治時代初期から現代まで鉄道技術や鉄道システムの変遷・歴史をそれぞれの時期・テーマごとに紹介している。その他に御料車6両など鉄道車両36両の実物車両を中心に展示。往時の貴重な資料や実物車両を縮小した、精巧な模型などや旧型の特急列車や新幹線等、様々な種類の列車が展示している鉄道に特に興味がない人でも楽しめる。昨今では大宮の新しい観光スポットとして観光客も増えている。

 天長7年(830年)に、慈覚大師円仁により創建された星野山無量寿寺が始まりと伝わる喜多院。慶長17年(1612年)、徳川家康の信任を得る天海僧正が、住職となる。喜多院となったのは、三代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築した。その結果江戸の大火の焼失を免れ、江戸城唯一の遺構として残された。客殿や書院には家光誕生の間、春日局化粧の間と伝えられている部屋もある。これらは慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されてる。現在、数多くの文化財や正月3日の初大師・だるま市、五百羅漢などの見どころや行事があり、川越大師として全国の観光客にも親しまれ、川越の欠かせない観光名勝でもある。

 鉢形城の歴史は古く文明8年(1476年)に関東管領だった上杉氏の家臣長尾景春が築城したと伝えられている。天正18年(1590年)には豊臣秀吉の小田原攻めで、後北条氏の重要な支城として凌いでいたが、前田利家・上杉景勝らの強力な攻めに、1ヶ月余りに及んだ篭城もついに開城した。開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一や日下部定が代官となりこの地を統治した。 戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年(1932年)に国指定史跡となった。昭和59年(1984年)からの寄居町による保存事業が開始され、現在は鉢形城公園として整備され、鉢形城歴史館が設置されている。派手さはないが知る人ぞ知る寄居町の観光名勝として注目され、年々訪れる観光客も増えている。

 寛文11年(1671年)、川越藩城主の阿部正春が時刻を知らせるため鐘楼を造ったが、火災で亀裂が生じた。享保5年(1720年)に、当時の藩主永井直信が改鋳した。3層構造で高さ182cm、直径76cm、重さ750kgの鐘は大判20枚が入っていると云われている。現在の鐘楼は明治26年(1893年)の川越大火で鐘楼もろとも焼失したため、翌年に再建されたもので、全長2.23m、龍頭のな長さ40㎝、最大外径82㎝、同内径66㎝、重量731.25kg(195貫)。維新の動乱期を除いて朝の6時、正午、15時、18時の1日4回川越の街に独特の音色を響かせ、川越のシンボルとなっているが、観光の見所として全国から大勢の観光客が訪れている。

 埼玉県行田市の忍城は、関東7名城の一つに数えられる。戦国時代は熊谷市を本拠とする成田顕泰が、文明10年(1590年)に築城した。北は利根川、南は荒川、四方は沼に囲まれた扇状地に建てられた難攻不落の城と云われ、上杉謙信や石田三成の水攻めにも耐えた。江戸時代には、徳川家康が江戸の防備と要衝として、家康の四男松平忠康が入封させ、その後は老中格の幕閣の居城となった。 寛永16年(1639年)、時の老中阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手。孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設、城門、土塀の修築などが完成し面目を一新したという。しかし明治6年(1873年)の明治維新の際に壊された。昭和63年(1988年)に行田市博物館の開館と共に御三階櫓が再建。現在の忍城は平成4年(1992年)に再築された。現在は埼玉県の隠れた観光名所になっているが、他の観光地に見られるように、大挙観光客が押し寄せ右往左往するような光景ではない。