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1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「北海道+観光の四方山話」が付けられているもの

 弟子屈町の自然湖で、阿寒国立公園に属している屈斜路湖は道東観光には欠かせない存在。火山性の陥没によりできたカルデラ湖で、周囲約57km、面積79.3km、最深部は約125mもあり、カルデラ湖としては日本最大、世界でも第2位の規模を誇る。川湯温泉からは2.1kmに位置し、初期の屈斜路湖は面積が現在の倍ほどあり、ほぼ円形の湖だったと考えられるが、3万年前から後カルデラ火山の後サヌプリ(別名硫黄山)をはじめとする溶岩円頂丘群が噴出し、南東部を失い、空豆状の現在の形になった。湖心に浮かぶ中島は自体二重式火山で、淡水湖内では日本一大きい島で、周囲12km、面積5.7㎢もある。湖を望む3つの峠に立ち、眼下に広がる雄大な原生林に囲まれた湖を見下ろす光景は、訪れた観光客を魅了している。昭和50年代には、クッシーと名付けられた巨大な未知の生物が棲んでいるという、噂がテレビなどで取り上げられ、大勢の観光客で賑わった。

 昭和18年(1943年)、突然自信と共に麦畑が隆起してできたのが昭和新山。4ヶ月にもおよぶ爆発、刻々と隆起する大地、地球のエネルギーは地底で固まった、粘性の強いデイサイト溶岩を押し上げ、402mのベロニーテ型火山を出現させた。当時は戦争中のため、食料もなくフィルムや紙、衣類にも事欠く中で、研究する学者は誰一人といないないなか、噴火の初めから終りまで記録した男がいた。郵便局長の三松正夫さんだった。寝食を忘れ、創意工夫を重ねて、活動の一部始終を記録した。昭和21年)1946年)には、私財を投げ打って土地を買い取った。昭和23年(1948年)、オスローで開かれた万国火山会議に提出された資料はミマツダイヤグラムと名ずけられ、多くの専門家に絶賛された。今日では対面する有珠山とともに北海道の観光地として注目され、多くの観光客が訪れており、北海道旅行には欠かせない観光スポットである。

 支笏洞爺国立公園に属するカルデラ湖で、我が国最北の不凍湖が支笏湖。しかし低温が続いた時には結氷するころもあり、平成13年(2001年)には結氷した。湖の周囲は約40km、最大水深363m、平均水深265mを誇り、国内では秋田県の田沢湖に次いで、日本で2番目の深度である。その起源は、4万年ほど前に形成された支笏カルデラに水が溜まった者と考えられる。形成した当初の形状は円形だったが、カルデラの近くの恵庭岳や風不死岳の噴火で、現在のようなくびれて形になった。今では北海道を代表する観光地で、連日観光客が訪れている。北海道三大秘湖の一つオコタンペ湖や苔の洞門などが点在し、観光スポットも目白押し。

 千歳市西部、支笏湖の北西約7kmに位置し、支笏洞爺国立公園の特別保護地区(自然公園法)に指定されている、小さな湖がオコタンペ湖。恵庭岳の火山噴出物によりできた堰止湖で、周囲約5km,最大水深20.5m、また阿寒湖近くのオンネトーや然別湖近くの東雲湖と並び、北海道3大秘湖と称される神秘の湖で、周囲5km、最大深度21.1m。天候によっては、湖水の色がエメラルドグリーンやコバルトブルーなどに変化して見える。支笏湖に注ぐオコタンペ川は、長さ約3.5kmで標高差300m以上を下る急流である。湖の周辺地域は森林法に基づき立ち入り禁止となっているため、展望台からの観覧となり、静かな観光ブームとなっており、一部の観光客に人気の観光スポットである。

 マリモの生息で知られる阿寒湖。そのマリモの発見は古くから知られ、大正10年(1921年)には国の天然記念物に指定され、阿寒湖の名前がさらに広まった。昭和9年(1934年)には、大雪山国立公園や日光国立公園とともに日本で2番目に国立公園に指定された。太古の昔、激しい火山活動によって広大なカルデラが形成されるが、特に阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖の3つのカルデラをカバーする総面積9万ha以上の地域がが指定の対象となった。阿寒湖は道東を代表する観光地で、面積は13.28㎢、周囲30km、最大水深45m。周囲には雌阿寒岳、雄阿寒岳、阿寒富士などの秀峰が聳え、さらに阿寒湖の南西には小さな宝石のようなオンネトーもある。阿寒湖の存在は、幕末の頃から知られ、探検家の松浦武四郎が著した東西蝦夷山川地理取調日誌が安政5年(1858年)に、久摺日誌文久では(1861年)によってその景勝美ぶりが記載されている。道東の観光ルートには欠かせなく、大型観光バスで大勢の観光客が訪れている。

 約1万年前、笠山が噴火してできた爆裂火口の跡でその規模は12haにもおよぶ。登別温泉の北東に位置し、長径約450mの爆裂火口跡から、無数の噴気孔から水蒸気が噴き出る様が、地獄谷と呼ばれている由来。今も噴気孔から硫黄やガスを噴き出し、白い煙を上げ熱湯がグダグダと湧き出ており、毎分3000リッタルもの湯量は、登別温泉で使用する温泉の約4分の3はこの地獄谷で賄っている。地獄谷に一歩足を踏み入れると硫黄の香りがたちこめ、奥まで歩くと湯煙で辺りが見えないほど。一周すると約10分の遊歩道があり、地獄谷展望台に登ると、火山ガスや熱湯を噴出す様を見られ、まさに地獄巡りができる。また登別温泉は古くから北海道を代表する観光地で、毎年全国から観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 札幌を代表する温泉で、札幌の奥座敷とも呼ばれている。この温泉は古くからアイヌに知られており、江戸時代には松浦武四郎が旅行中に、川に湧く温泉に入ったと記している。また慶応2年(1866年)に、小樽でこ温泉を知った僧の美泉定山が、小さな小屋を建て温泉宿としたのが、定山渓の名前に由来すると云われている。大正7年(1918年)には、札幌市街地から定山渓鉄道線が開通しより発展した。定山渓温泉の利用客は、戦時中と戦争直後に激減した。戦後、鹿の湯ホテルを接収した進駐軍は、昭和22年(1947年)に建物を不審火で全焼させて去った。札幌市の戦後の急成長に伴い温泉街も回復し、札幌を代表する観光スポットで全国から大勢の観光客が訪れている。

 北海道西部に位置し、日本で9番目に大きい湖で、支笏洞爺国立公園の中にある洞爺湖。約11万年前に巨大な噴火が起こり、洞爺カルデラが形成された。東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖で、洞爺湖温泉や有珠山、昭和新山を要する北海道を代表する観光地地帯。湖の中央に浮かぶ4つの島を総称して中島(4.85km²)と呼び、これは約5万年の噴火によって造られた。また2万年前から洞爺湖の南岸で噴火が繰り返され、有珠山や昭和新山が誕生した。今日では年間400万人の観光客が訪れる。連日観光バスがフル活動している。

 江戸時代末期に蝦夷地の箱館(現在の函館)建造された稜堡式の城郭。もともとは北方の防備の目的に建てられ、日本初のフランス築城の星型要塞で、幕軍と官軍の最期の戦いとなった箱館戦争の舞台で知られる。完成したのは元治元年(1864年)。徳川幕府の命を受けた蘭学者武田斐三郎が設計を手掛けた、国内初の西洋式城郭が五稜郭。かつて、海軍副総裁 榎本武揚率いる旧幕府脱走軍と、新政府軍が激しい戦闘を繰り広げた場所として知られるいる。大正3年(1914年)に五稜郭公園として一般開放され、春に約1600本のソメイヨシノなどが咲き誇る道南有数のサクラの名所。また人気の高い観光地・函館を代表する観光名所の一つである。平成22年(2010年)には函館奉行所復元し、観光客にも公開している。

 北海道を代表する観光のメッカで、日本で最も透明度の高い湖が摩周湖。その透明度は世界でもバイカル湖についで2位。湖面は海抜351m、周囲約20km、面積19.2平方キロメートル、最深211.4mのカルデラ湖。湖の周囲は300~400mの絶壁に包まれ、その斜度は平均45度もあり、これほどの険しさが人間を拒絶しているので、手つかずの自然と透明度を醸し出している。また注ぎ込む川も流れ出る川もないのに、水位はいつも変わらない不思議な不思議な湖で、多くの時間を霧が包み込みなかなか姿を見せてくれないので神秘の湖と云われている。観光客が大挙押し寄せるが何度訪れても霧に隠れてみる事ができない観光客も好きなくない。また摩周湖を見ることができない観光客は、日頃の行いが悪いからだとも云われている。

 観光客も行き交う箱館山の山麓に、幅員が二十軒もある二十軒坂沿いに函館別院がある。この寺院は明治40年(1907年)の大火で類焼し、大正4年(1907年)に鉄筋コンクリート造りにした。現存する鉄筋コンクリート造りの寺院としては日本最古で、国指定重要文化財に指定されている。明治から昭和の初期にかけ、函館は度重なる大火に見舞われ、大火に強い建築を求められたの理由。今日では観光客が観光パンフレット片手に訪れている。

 安政6年(1859年)日米通商友好条約により、横浜・長崎と共に日本で最初の貿易港となった函館。 この為、欧米文化の影響を直接受け、特に函館西部地区の元町周辺は開港当時から栄えた所で、各国の様式を備えた教会・旧領事館・石畳の坂道とこれらがかもし出す風情はエキゾチックなムードを漂わせ、連日観光客で賑わっている。 なかでも二十間坂を下った所に、角張った電柱がある。これが最も古く、日本最古のコンクリートの電柱と云われている。
 大正12年(1923)、元北海道拓殖銀行函館支店が鉄筋コンクリートに建て替えられた際に、建物にマッチする電柱を拓銀が資金を提供し、特別に建てられた。
 今日では、パンフレット片手に訪れる観光客が、隠れた函館の歴史を尋ね歩いている。