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1番星の観光ガイド - 観光情報を簡単検索でタグ「三重県+観光の四方山話」が付けられているもの

 三重県志摩半島の大王埼の突端で、太平洋に付き出た大王埼灯台。「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王がなけりゃよい」と船乗たちに恐れられた大王崎はも、昭和2年(1927年)に総工費(当時の)36,221円94銭建設され、海の安全を照らしている。大王埼灯台は地上から灯塔の頂部まで高さ20.50m、全国で14基ある参観灯台の一つで、 見張り台は展望になっており観光客に人気の観光スポット。周辺は伊勢志摩国立公園に指定され、リアス式海岸で風光明媚な地で、観光客にも欠かせない観光名勝も多く、大王埼灯台は多くの画家に親しまれている絵描き町でもあるの。団体の観光客や少人数の観光客そしてカップルが訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 三重県の鳥羽湾に浮かぶ小島で、日本の真珠産業を築いた御木本幸吉が、明治26年(1893年)に世界で初めて、真珠養殖に成功した島。ここでは海の宝石・真珠、そして真珠王と呼ばれた御木本幸吉のすべてを知ることができる。島内には、美術工芸品を展示する真珠博物館をはじめ御木本幸吉記念館、パールプラザなの他、磯着を着た海女の潜水実演も必見。幕末に生まれ明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜き、96歳で没するまでの波瀾に富んだ生涯を紹介。そして人物像に迫る。鳥羽は三重県を代表する観光地で、ミキモト真珠島は鳥羽水族館と並ぶ観光スポットで、団体の観光客や少人数の観光客そしてカップルが訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 織田信長が築城した幻の安土城を中心に、洛中洛外、楽市楽座、戦国砦など安土桃山時代の街並みを、時代考証に基づき再現した伊勢安土桃山文化村。観光の街・三重県伊勢市に平成5年(1993年)に開業し、安土桃山時代の歴史や文化をテーマに、敷地面積33.4㎡、総工費300億円(そのうち安土城は70億年)で開村した。この村を舞台に忍者、戦国武将、花魁、町奉行などが笑いと感動のライブパフォーマンスを繰り広げており、入口の戦国大門を潜ると、もうそこは戦国時代。村内 は、領民の里(一の丸)、忍者の里(二の丸)、城廓の里(本丸)の三層構造になっており、村内は駕篭バスが走るほど広大。元々観光客で賑わっていた伊勢市だが、この村ができてから増々観光客が増え、団体の観光客や少人数の観光客そしてカップルが訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 織田信長の北伊勢攻略後,実弟の信包が、それまでの安濃津城を修築して、天正8年(1580年)に5層の天守を構えた。それが津城である。三重県津市の中心部位置し、北は安濃川、南は岩田川に抱かれた天然の大外堀になった。しかし関ケ原の戦の前哨戦で城主富田信高 が東軍に組したため、城は西軍の猛攻にあって陥落。慶長13年(1608年)築城の名手藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石を領して津城を再建したが、平城で天守は再建されなかった。城主も以後は,藤堂氏が襲して明治に至る。現在は城内に日本庭園と西洋庭園が造られ,藩校有造館の門が移築されている。津市の観光シンボルにもなっており、団体の観光客や少人数の観光客そしてカップルが訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 観光のメッカ三重県伊勢市にある神社で、正式名称天照大御神を祭神として、ご神体は三種の神器の一つ八咫の鏡。正式名称は地名のつかない神宮で、他と区別するため伊勢神宮と呼ばれている。皇室の御祖先の神である天照大御神がお祀りされており、垂仁天皇の26年(紀元前4年)に、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上にご鎮座された日本人の総氏神である。20年に1度の式年遷宮は1,300年間続いている。この地域遺体は三重県を代表する観光スポットが数多く、観光兼ねて参拝に訪れる団体観光客や少人数の観光客そして家族連れも観光客もも多い。大型観光バスの駐車場完備。

 伊勢神宮内門前町の真ん中にあり、江戸時代から明治時代の伊勢の様子が再現されている観光スポット。おかげ横丁の名前の由来は伊勢名物・赤福が創業の地で約300年商いを続けてこられた感謝の念と、江戸末期から明治初期にかけお伊勢詣り流行した おかげ参りに因んでつけられ、平成5年(1993年)に完成した。現在では伊勢志摩の特異産物や土産などを商う店が45店軒を並べ訪れる観光客に好評。団体の観光客や少人数の観光客そしてカップルの管区客が連日、参拝の後に訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 約1,200種類、30,000点もの海や川の生物を、飼育展示する鳥羽水族館。館内の通路は観覧順序を無くした自由通路となっており、通路全長は約1.5km。水族館の歴史としては比較的古く、ミキモト真珠島を訪れる観光客が、対岸の丸幸水産の生け簀を帰りに見学したことが始まりだった。昭和30年(1955年)に、日本で26番目の水族館をオープン。昭和31年(1956年)に鳥羽水族館の名称になった。オープン以来、多くの観光客や家族連れが訪れ、通算5,000万人を越え、全国最多入館者を達成。人気があるのは、日本唯一の人魚伝説のモデルといわれるジュゴンの飼育。またスナメリ、ラッコ、カピバラなどのアイドルも多く、毎日開催のアシカ、セイウチのショーは、ダイナミックでコミカルな演技は修学旅行生や観光客にも好評。大型観光バスの駐車場も完備。

 伊賀と大和の国境を流れる滝川の上流、香落渓に続く4kmに及ぶ渓谷に連なり、美しい大自然の芸術を作り出している赤目四十八滝。地名の赤目の由来は、役行者が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出逢ったと云い伝えがある一方、忍者の修行場だったとも云われている。赤目の神秘的な自然は、日本の滝百選や森林浴の森百選、そして遊歩百選にも選ばれている。
渓谷とその周辺は野生動物や植生の宝庫としても知られ、なかでも世界最大級のオオサンショウウオの生息地でも知られ、秋には関西や東海方面から大勢の観光客で賑わう。数多い三重の観光スポットのなかでも一押しの名勝。

 近世城郭として上野城が築かれたのは、天正13年(1585年)に大和郡山から移封された筒井定次が、三層の天守を築いたのが始まりだった。慶長13年(1608年)に徳川家康の信任厚い藤堂高虎に、伊勢国津藩(22万石)の藩主に着任させた。慶長16年(1611年)に築城の名手高虎が、上野城を有事の根城として本丸を拡張、高さ約30mの高石垣を廻らせた。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、元和元年(1615年)の夏の陣と勝利に終わった家康方が
、諸大名に城の普請を厳しく禁止。その為上野城の天守閣が再建されることはなかった。一国一城制では上野城も伊賀の国の城として認められた。 その後10万石の加増をうけて、32万3千950石余の大藩として明治時代まで城代を置いて存続した。現在の天守閣は昭和10年(1935年)に復元されたものだが、石垣と内堀は高虎が築城した当時のまま。この石垣は黒沢明監督の影武者のロケ地に使われた。今日では忍者屋敷と並ぶ伊賀氏の観光スポットで、連日観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 伊勢二見の観光名所で知られる夫婦岩。古来より日の出遙拝所として知られ、沖合700m先には、猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まると云われ、天平年間(729年~748年)に僧行基が江寺を創建し、興玉社を建て鎮守社とした。後に現在の二見浦へと遷座した。境内に夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされている。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られ、その間は9mもある。毎年、5月5日・9月5日・12月中旬土日曜日に大注連縄張神事が行われる。普段は車で通りかかって見ている夫婦岩を、この神事の時は大勢の観光客で賑わう見栄の観光スポット。