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観光の四方山話

 15世紀半ば、上総武田信長によって築城され、別名雨城や霧降城・浦田城とも呼ばれていた山城。以後は武田信長の子孫万里谷が支配した。しかし戦国時代は真里谷の力が衰え、安房の里見義堯によって再構築され、佐倉城と供に北条の最前線を担った。江戸時代は久留里藩の藩庁とさらに再整備され、酒井の加増地となった。また儒学者の新井白石は、土屋家二代目の利直に仕え、18歳~21歳までの青年期をこの久留里で過ごしている。久留里城は戦国期から近世にかけて続いた房総の名城です。現在、山上部のニノ丸跡に建つ資料館は、昭和54年(1979年)に本丸跡に復興した天守閣とともに、市の教育施設として開館し、君津市の観光スポットになっている。平成10年(1998年)に、健康保養の森の一つとして選ばれ、観光客が遊歩道を散策している。大型観光バスの駐車場完備。

 江戸時代の町並みを今に残す宿場が大内宿。当時は会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ、32里の中で会津から2番目の宿駅として、寛永17年(1640年)頃に整備された宿場町。全長450mの往還する道路の両側には、30軒以上の茅葺き屋根の民家が並び、江戸に向かう大名や旅人が利用した重要役割を担っていた。記録によると天正18年(1590年)に伊達正宗が小田原参陣の時、また同年に豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行している。今日では、年間120万人もの観光客で賑わう福島を代表する観光地。一度は行ってみたい観光スポットである。

 開園部分が約190haを誇る広大な公園で、春は水仙、チューリップ、初夏にはネモフィラ、薔薇、夏にはジニア、秋にはコキア(ほうき草)やコスモスと、四季折々の草花が訪れる観光客の目を楽しませている。昭和46年(1971年)に約70haが開業、その後何度かの工事を繰り返し完成。サイクリングコースも整備され、25種類以上のアトラクションの遊園地レジャーガーデンやBMXコースや林間アスレチック広場、バーベキュー広場などもあり。また海と空と緑が友達 爽やか健康体験をテーマとに樹林、草地、砂丘、海浜、湧水地等、特色ある自然条件を生かした整備を目的として訪れる観光客に好評。大型観光バスの駐車場完備。

 奥州関門の名城と謳われた小峰城。結城親朝が14世紀中頃に、小峰ケ岡に城を設け小峰城と名付けた。江戸時代には初代藩主・丹羽長重公が4年の歳月をかけ、完成寛永9年(1632年)に完成させた梯郭式の平山城。それ以後、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城したが、慶応4年(1868年)の戊辰戦争白河の戦いで落城。平成3年(1991年)に三重櫓、平成6年(1994年)に前御門が古図により忠実に復元された。平成22年(2010年)に、歴史的な重要性が評価され、国指定史跡に指定された。三重櫓は本丸の北東隅に建つ三層三階の櫓。一国一城令以後の築城で、大規模な天守ではなかったものの、奥州関門の名城にふさわしい外観をしていた。今では隠れた福島の観光スポットで、時折観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 磐梯山南麓にあるほぼ円形の湖で、日本では琵琶湖、霞ヶ関、サロマ湖に次いで4番目に大きい湖。最大深度は93.5m。湖面の標高は514mと高い。磐梯朝日国立公園の中心をなす観光地で、磐梯山南麓には数多くのスキー場が点在。 またいろいろなの源泉があり、豊富に湧き出てくる湯は訪れる観光客に好評。縄文時代中期から後期にかけて、現在より、湖の水位が低く、湖北部の沖で土器が出土する。江戸時代は湖上の交通が発達し、廻米などに利用された。今日では福島県を代表する観光スポットで、日本百景にも選定されている。湖北岸には重要文化財の天鏡閣や野口英世記念館もあり、観光にはことかかない。

 上山城は、天童一門の上山氏が持っていたが、永生5年(1508年)に伊達家に攻め落とされ、城主の上山義房は滅亡した為、伊達家の家臣小簗川貞範が城主になった。その後、上山義房の子武衛義忠が城を奪還し再築した。天正8年(1580年)に義光は上山城を攻め落とし、最上氏の城となった。元和8年(1622年)に最上氏が改易となり、上山藩の本城として、能見松平家、蒲生家、土岐家、金森家、藤井松平家と城主がめまぐるしく変わりながら明治に至ったが、明治の廃城令により、城が取り壊された。昭和57年(1982年)に、二の丸跡に三層模擬天守は建立され、今日では上山市の観光のメッカとなり、観光客で賑わっている。大型観光バスの駐車場完備。

小野川温泉

 平安時代の承和(834~848年)の頃、六歌仙の一人で絶世の美人と誉れ高い、小野小町が父を探して京都から東北に向かった途中で病に倒れた。その時、 薬師如来が夢枕に立ち、その導きに従って発見したのが小野川温泉。そしてその温泉に浸かって病を治したという伝説が今でも残っている。山形県を横断する最上川の源流の一つである大樽川(鬼面川)の河畔に広がる温泉で、伊達政宗もこよなく愛した温泉で知られている。またラジウムの含有量も全国有数で、小町ゆかりの伝承から美人の湯とも呼ばれ、肌や髪が艶やかになると評判。泉質は含硫化水素ナトリウム・カルシウム-塩化物泉。温泉の効能は神経痛、リウマチ、皮膚病、 慢性胃腸病など。泉温は83℃。湧出量は毎分1200ℓ。今日では山形の名湯として知られ、全国から観光を兼ねた観光客が温泉目当てに訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 仙台市から車でわずか20分、仙台の奥座敷として親しまれている秋保温泉。 宮城県を代表する秋保温泉の歴史は1500年以上と古く、第29代欽明天皇(531年~539年)がに皮膚病に感染したが、どの温泉を用いても効果があらわれす病床に伏していた。そのような中、 古代東北他方の一温泉である秋保温泉の湯を、遠い都がある大和の地へ搬送し、天皇が沐浴をされる機会を得ることになるが、 なんと病は数日で全快されるという快挙をなし遂げた。また戦国時代には伊達政宗も同様の病を患い、 伊達藩は湯守を置いて御殿湯としたと云う。その良質な湯は,有馬温泉,道後温泉と並ぶ日本3名湯の一つに数えられるほどで、全国から大勢の観光を兼ねた観光客で賑わっている。

鳴子の名の由来は、源義経が源頼朝に追われて平泉へ落ち延びる際に、 出羽の国で妻が亀若丸を産み、この地で産湯をつかわせたら初めて呱々の声をあげたことからくる啼子説や、 承和二年(835年)に潟山が大爆発し、熱湯が轟音をあげて噴出したことから、村人が鳴郷の湯と名付けたとする説がある。江戸時代は、鳴子は出羽・羽後両街道の要所で、尿前・鍛冶谷沢・中山・鬼首に宿駅があり玉造四駅として栄えた。 宿場の賑わいは消えたが、尿前の関から山形県の境田までの約5.2kmがおくのほそ道(遊歩道)として整備され、 天然林の山道を散策することができる。鳴子温泉郷は鳴子温泉・東鳴子温泉・川渡温泉・中山平温泉・鬼首温泉の5つの温泉地から構成され、 我が国の11種の泉質のうち9種がここにある。源泉数は370本以上。昔から東北の湯治場として知られ、 効能や泉質の良さには定評があり、宮城を代表する観光地とななり、連日温泉目当ての観光客が訪れている。大型観光バスでも団体客も多い。

 江戸時代、戦国時代の名将・上杉謙信の遺骸は、米沢城本丸の南東隅位置する御堂に安置され、歴代藩主の位牌と共に、真言宗寺院で手厚く祀られていた。 明治9年(1876年)上杉謙信公、上杉鷹山公を祭神として、米沢城本丸跡に建立されたのが上杉神社。明治35年(1902年)に、別格官幣社に指定され、祭神は上杉謙信公のみとなり、上杉鷹山公は摂社に祀られ松岬神社となった。大正8年(1919年)に起こった米沢大火で、ほとんどの建物が焼け落ちた。その後、国の援助金や米沢市民の労働奉仕により、大正12年(1923年)、現在の神社が完成。設計は米沢出身で、神社建築の第一人者伊東忠太博士。今日では米沢の観光の拠点となり、県内外からの観光客が訪れている、米沢には欠かせない観光スポットである

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