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観光の四方山話

 栃木県北部の広大な那須野が原から、 北西に連なる山中に分け入った箒川の渓谷沿いに連なる11地区の温泉地の総称で、150もの源泉を擁する塩原温泉。その歴史は古く、延暦25年(806年)に発見されたと伝えられ、1200年以上の歴史を誇っている。明治・大正時代に数多くの文人たちが訪れ、地元の人々との交流の中で多くの文学作品を生み出し、塩原の町の中には沢山の文学碑が点在している。尾崎紅葉が、山あれば岩あり、岩あれば必ず瀑あり、全峰にして名瀑と称えた程、塩原渓谷の美しさは圧巻。今でも観光を兼ねて温泉を堪能する観光客も多く、今や栃木県を代表する観光地である。

 日本最古の学校といわれる足利学校。創建については、平安初期に小野峯が創建したという説が有力視されているが、どれが正しいかは現在も解明されていない。足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代の永享11年(1439年)、上杉憲実が関東菅領になると学校を整備し、書籍の寄進や庠主(校長)を招き学生の養成をした。16世紀の初頭には生徒は3,000人を越え、フランシスコ・ザビエルによって海外にも紹介された。寛文8年(1668年)には幕府の聖廟が修築された。廃校となったのは明治5年(1872年)だった。大正10年(1921年)に国の史跡に指定され、現在存在する校舎は、江戸時代の形を復元したもので、足利に観光で訪れる観光客の大半は訪れる観光スポットになっている。

中禅寺湖

 奥日光の観光の中心。男体山噴火による堰止湖で面積11.62㎢を誇る。周囲約25km、最大水深163mの中禅寺湖は、日光を代表する湖で、水面の海抜高度1,269mと、日本一の高さを誇っている。歴史は古く約2万年もの昔、男体山の噴火できた溶岩で渓谷をせき止めたと云われており、発見は天応2年(782年)に、日光開山の祖、勝道上人が男体山から発見した。明治11年(1878年)に明治天皇が訪れた際、同湖を幸の湖と名付けてた。明治中期から昭和初期にかけて、同湖周辺は欧米諸国の大使館別荘が建てられ、避暑に訪れるリゾート地となった。戦後、いろは坂の開通でアクセスが良くなり、春の新緑や秋の紅葉など観光地として人気を博している。今でも全国から観光客が訪れる。大型観光バスの駐車場完備。

 源平合戦壇ノ浦の戦いで破れた平家の残党が、散り散りになって辺鄙な奥地へと逃れ密やかに暮らした地。河原に湧き出る温泉は、天正元年(573年)に落人の子孫が発見し傷を癒したと云われる歴史のある古い温泉。温泉地名の由来ともなった、湯西川の渓谷沿いは旅館や茅葺き屋根の民家や、近代的な外観の宿も含め23軒の宿泊施設が湯西川の谷間に点在し、囲炉裏端で夕食を取れる宿や、露天風呂が自慢の宿が多い。また、この地域は、現在も鯉のぼりは上げない風習が残り、鶏を飼わない習慣が続いている。これは平家落人が、目立たないように身を隠すために工夫である。秘湯の風情がある古の温泉は栃木の観光地になっており、 毎年観光客が訪れ、観光を兼ねて温泉を堪能している。

 標高2,486mの二荒山を御神体山と仰ぐ神社で、古くから日光の氏神様。今から約1,200年程前の奈良時代後期に、二荒山に神霊を感じた勝道上人が大谷川の北岸に四本竜寺を建て、延暦9年(790年)に本宮神社を建てたのが、二荒山神社の始まりだった。延暦3年(784年)に、二荒山中腹に位置する中禅寺湖の北岸に、日光山権現(中宮祠)を祭り、二荒山神社のほぼ現在の形となった。江戸時代の元和3年(1617年)に、東照宮が祀られた時、幕府は神領を寄進し、社殿を造営するなどして崇めた。明治維新後、神仏分離があったが、明治6年(1872年)、国幣中社に格づけされ、戦後も一般の人たちの参詣が絶えない。今日では東照宮と供に世界遺産に登録され、海外からの観光客が訪れる観光スポットでとなり我が国を代表する観光地である。

 鹿島神社は息栖神社や香取神社と共に東国三神社に数えられる古社で、鹿島を社名に持ち、皇紀元年の創建と伝えられ、武甕槌神を祭神とする神社。武の神様として古くから皇室や将軍家の崇敬を受けてきた。また日本三大楼門の一つに数えられる朱塗りの楼門や、極彩色豊かな本殿など、国の重要文化財指定の社殿や宝物が多く、なかでも国宝フツノミタマノツルギは全長が約3mもの直刀で、奈良・平安期の製作と云われている。境内は東京ドーム15個分の広さを持ち、天然記念物に指定され貴重な植物が群生していることで、知られている。今日では茨城の観光ルートに欠かせない存在で、連日多くの観光客で賑わっている。大型観光バスの駐車場完備。

 茨城県の観光のシンボルとなっている筑波山。西側の男体山(標高871m)と東側の(標高877m)と2つの峰を持ち、古くから信仰の山として栄えてきた。また昔から西の富士、東の筑波と称され、朝夕に山肌の色を変え、美しい姿を見せているところから紫峰とも呼ばれている。筑波山神社からケーブルカーで8分乗車した後、徒歩15分で男体山山頂へ。つつじヶ丘からロープウェイ6分乗車した後は、徒歩15分で女体山山頂にいける。山中には珍しい1,000種以上の植物が群生し、植物研究の宝庫としても知られている。登山・ハイキイング・観光など年間を通して訪れる人も多い。大型観光バスの駐車場完備。

 金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ日本三公園の一つに数えられ、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭が、民と偕に楽しむという趣旨で開いた。 当時の面積は14万8,000㎡、その大半が梅畑だった。種梅記の碑によると、その実を梅干として非常の時に備えるのが狙いだったようだ。明治6年(1873年)に常磐神社(光圀・斉昭を祀る)の境内に一 部を充てたので、現在の面積は11万㎡と少し狭くなった。春は桜、初夏は深紅のキリシマツツジ、真夏は緑あざやかな孟宗竹や杉林、秋は可憐な萩の花やモミジが楽しめる。これらを通して眼下に広がる千波湖を望む景観は、今日では水戸の観光スポットとなり、大勢の観光客が訪れている茨城の観光地。

 リアス式海岸が続く、素晴らしい自然美溢れる勝浦市鵜原地先。この当たりは寒流と暖流が合流し、海の生物が豊富で、14.5haの勝浦海域公園の中心となる施設で勝浦の観光地でもある。メイン施設の海中展望塔は昭和55年(1980年)にオープンし、高さ24.4m、水深8mは、東洋一の規模を誇っている。その海中展望室からは、季節ごとに数多くの魚や海底の様子を見ることができ、訪れる観光客に好評。また最上部には太平洋を一望できる展望台があり、限りなく広がる海原を一望できるが、天候が悪いと海中の様子を見ることが出来ない時もある。県内外から観光をかねて見物にくる人も多い。

 戦国時代中頃の天文年間(1532年~1552年)に、千葉氏の一族でだった鹿島幹胤が鹿島台に築いた中世城郭を原型としている。江戸時代に入り土井利勝によって、慶長16年(1611年)から5年間の歳月をかけ築造された平山城。城内は、本丸、二の丸、三の丸など家臣の屋敷割された曲輪からなっており、大手門(追手門)、三の門、二の門、一の門のあとを経て広い本丸の跡にでる。本丸には屋形があり、本丸には天守閣や銅櫓、角櫓などがあった。今日では佐倉城址公園として整備され天守閣跡、空堀など城の遺構が多数残され、天守閣跡には樹齢約400年の夫婦モッコクをはじめ、椎、樫、紅葉などの大木が点在する緑多き歴史公園になっており、佐倉市の観光名所となっている。県内外の観光客が時折訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

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