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観光の四方山話

 内濠(二重橋濠)に架かり、皇居外苑と宮殿の間の濠にかかる鉄橋で石橋とも呼ばれている。江戸時代は江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、下に土台の丸太を組み、その上に橋を重ねて架けいたことから、二重橋の呼ばれるようになった。通常は閉鎖しているが、正月の一般参賀や天皇誕生日には開放され、一般人でも渡ることができる。明治21年(1888年)に鉄橋に変えられ、昭和39年(1964年)に改架され現在に至っている。昔から東京の観光コースになっており、定期観光バスにも組まれ東京代表する観光スポットの一つである。

 戦国時代末期、小田原に本拠をおき関東の覇者北条氏の三代目当主、氏康の次男の北条氏照が築いた山城が八王子城。築城は天正10年(1582年)から15年(1587年)と考えられている。城内に八王子権現を祭ったことから八王子城と云われ、八王子の由来になった。しかし険しい山中に築かれた城だったが、天正18年(1590)に豊臣軍の、前田利家・上杉景勝軍に攻められて1日で落城。平成2年(1990年)には、落城400年という節目に、御主殿地区の石垣と虎口などの通路、御主殿に続く古道が整備され、山麓には御主殿跡と再現した曳橋、山頂には本丸跡や八王子神社があり、曲輪・馬場道跡・井戸などの遺構も点在。城跡入口から城跡山頂までは登り1時間程、下り40分程度歩く。日本100名城の一つに認定され、東京の隠れた観光名勝で、パンフ片手に訪れる観光客もいる。大型観光バスの駐車場完備。

 隅田川や東京湾の船旅が気軽に楽しめる水上バス。東京の新観光名所・東京スカイツリーをはじめ吾妻橋や清洲橋など12の橋を巡る隅田川ライン、レインボーブリッジやお台場大観覧車を海上から見渡すお台場ラインなど、日頃見ることの出来ないシチュエーションを楽しめる。また松本零士プロデュースの未来型水上バス「ヒミコ」が平成16年より運航し、東京には欠かせない観光名所となっており、観光客も多い。

 緑豊かな自然と湧き水に恵まれ、武蔵野の風情を色濃く残す環境の中に佇む深大寺。天台宗別格本山の寺院で、東京では浅草寺に次ぐ古刹で、天平5年(733年)に満功上人が開創したと伝えられている。寛文4年(1646年)と慶応元年(1865年)に火災に見舞われ、堂宇の大半を失った。現在の本堂は大正年間の再建である。白鳳仏(釈迦如来倚像、国の重要文化財)、梵鐘(重要文化財)などの貴重な寺宝でも知られ、年間を通して多くの参拝者で賑わっている。深大寺界隈は週末ともなれば、自然を求めて観光気分で訪れる人も多く、今や武蔵野の観光スポットとなっており、ツアー客は大型観光バスで訪れている。また名物の深大寺蕎麦は夙に有名。

 明治15年(1882年)に我が国で初めて動物園が、誕生したのが恩賜上野動物園。上野駅から徒歩5分の好立地にあり、敷地は西園と東園に分かれており、両園を結ぶ都営モノレールが運行しており、モノレールとしても日本初である。園内は14haの敷地に約500種3000点の動物が飼育されており、なかでも昭和47年(1972年)にパンダが初来日し、一大ブームになった。平成20年(2008年)にパンダの死亡により入場者も減少したが、平成23年(2011年)にパンダが来日し、人気も回復した。現在は観光コースに入っており、大型観光バスで訪れる観光客も多い。

明治天皇・昭憲皇太后を祀っているのが明治神宮。明治天皇が崩御された当初は、京都の伏見桃山陵に祀られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が起こり、全国から13,000人もの国民が労力奉仕に自発的に参加し、大正9年(1920年)に創建された。22万坪(約73ha)に及ぶ広大な神域は、江戸時代初めに肥後藩藩主の加藤家の別邸で、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主の井伊家の下屋敷だったが、明治7年(1874年)に買い上げられ南豊島御料池となったが、今日では300万人もの人々が参拝に訪れている。東京に観光に訪れる観光客の殆どは参拝に訪れており、東京の観光スポットになっている。

 群馬県の北西部新潟県境に近い、群馬県吾妻郡中之条町の上信越高原国立公園内に位置する四万温泉(しまおんせん)。その歴史は古く、延暦年間(約1200年)に遡り、少なくとも鎌倉時代には既に温泉が湧き出ていただ。清流・四万川に沿って細長く発達した温泉地で、標高は約600m~700m位で夏の避暑地としても優れていおり。旅館の数は約40軒で、泉質と景観を生かした貸切露天風呂や露天風呂付客室など、露天風呂が充実。四万温泉の名前の由来は古くいろいろな説が あるが、四万(4万)の病を癒す霊泉と言うのが良く知られ、草津と並ぶ群馬県の観光地で、多くの観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 今や日本を代表する観光地の地名の草津温泉。名前の由来は諸説あり、独特の硫黄成分の強い温泉の臭いから臭い水を意味する「くさうず」が変化しという説と、大般若経の中の一文、「南方有名是草津 湯」より来ているという説がる。草津には数多くの著名人が足を運んでいたり、なんらかの形で関わっており、鎌倉幕府を開いた源頼朝が草津の湯に使ったり、 徳川八代将軍吉宗が遠く江戸まで草津の湯を運ばせたことや。松尾芭蕉や東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九も訪れ、草津温泉に足跡を残している。明治11年(1878年)には草津の温泉の効能を高く評価し、そして世界に広く紹介したベルツ博士が初めて草津温泉に足を踏み入れた年でもある。草津温泉の湯もみを有名にした平井晩村が草津に来たのは大正7年(1918)と記録に残っている。草津温泉一の名所であり、シンボルの湯畑は、毎分4,000ℓ以上の熱湯が沸きあがり、これを何本もの木樋に流して熱湯を冷まし、各旅館へと送られている。観光を兼ねて温泉を堪能する観光客も多い。

 標高1,300m赤城山頂の湖、大沼の小鳥ヶ島に鎮座する赤城神社。赤城姫と云う姫様が祀られており、古くから女性の願いやお参りすると美しい子供を授かると伝えられている。創建は不詳だが、神社の由緒によれば、上代に豊城入彦命が上毛野国を支配した際、大己貴命を奉じたのが始まるとされている。江戸時代には、徳川家康公を祀り将軍家や諸大名からも厚く信仰され、寛永18年(1641年)に社殿が火災で焼失すると、翌年三代将軍徳川家光が命じて社殿が再建した。しかし赤城山の厳しい環境によって荒廃し、昭和45年(1970年)に再建竣工された。また全国に300社ある赤城神社の、本宮と推測されるうちの一社であり、観光を兼ねて参拝する観光客も多い。大型観光バスの駐車場完備。

 上毛三山の一つに数えられ、古来より山岳信仰を受けてきた山(標高1,390.3m)で、南西麓には榛名神社が祀られている。495年頃と30年後に大きな噴火した形跡がある。伝説によると巨人妖怪のダイダラボッチが富士山と浅間山、榛名山を競争で造ったが、あと一息のところで富士山にダイダラボッチが勝った伝えられている。諏訪神社や弘法大師などの民話が数多く残っている。周辺には水沢温泉や伊香保温泉など、温泉が湧き出ているいで湯も数多い。行楽シーズンには温泉に浸かり乍ら、観光を楽しみ観光客も少なくない。大型観光バスの駐車場完備。

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