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観光の四方山話

 日本最古の石造りアーチ橋が眼鏡橋。しかし実際は琉球王国時代の天女橋が一番古いとされている。しかし今日では観光地の長崎には欠かせない観光スポットの一つ。その歴史は古く寛永11年(1634年)に、興福寺の二代目重職だった黙子如定が架けたが、慶安元年(1648)の洪水で損壊。その後も度重なる水害で破損するが修復して来た。昭和57年(1982年)の長崎大水害では中島川の橋が流失し、眼鏡橋破損した。橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46mで国の重要文化財に指定され長崎の観光パンフレットには必ず掲載されている観光の名所。

 豊川稲荷の名で広く知られているが、一般的には狐を祀った神社と思っている人が多いが、実際は円福山豊川閣妙厳寺と称する寺院である。その歴史は古く、嘉吉元年(1441年)、曹洞宗法王派の東海義易によって創建。室町時代末期には、今川義元が伽羅を整備した。開祖の東海義易は幼名を岩千代といい、9歳の時に曹洞宗法王派5世の華蔵義曇の元で仏門に入った。そして、東海地方における法王派の拠点となる普済寺で修行し、その後、諸国の行脚に入っり、永享11年(1439年)に、荒廃し歓喜院を再建し曹洞宗に改め、その2年後、豊川の円福ヶ丘の地に妙厳寺を建立したのが豊川稲荷。日本三大稲荷の一つに数えられ、連日観光バスが押し寄せ大挙観光客を運んでおり、またマイカーの観光客も賑わっている。

 秋田県を代表する観光のメッカ田沢湖は、日本で一番深い湖で知られる。湖畔標高は249m、最深部は174.4mの深さの為か、真冬でも湖面が凍り付くこともなく、湖水に射込む太陽の陽射しは翡翠色から濃い藍色にまでに彩ると云われている。田沢湖が初めて測定されたのは明治42年(1902年)。湖沼学者の田中阿歌麿が麻縄に重りをつけ沈めて、計測した時は397mを記録した。大正15年(1925年)には、田中舘愛嬌がワイヤーロープで425mを記録した。四季折々に豊かな表情を見せ、訪れる観光客を楽しませてくれる。近くには田沢湖高原温泉郷と水沢温泉郷もあり、秘湯とよばれる乳頭温泉郷は、源泉を持つ一軒宿が点在する。観光には欠かせない存在である

 甲府盆地にあり富士川の支流、荒川の上流に位置する渓谷が、風光明媚な観光地の昇仙峡。大正12年(1923年)に国指定名勝に指定され、昭和28年(1953年)に特別名勝指定された。正式名称は御嶽昇仙峡だが、秩父多摩甲斐国立公園に属し、長潭橋から仙蛾滝までの全長約5kmの渓谷は、川が花崗岩を深く浸食し形成され、トーフ岩、松茸石、めまい岩などユニークな名前がつけられている奇岩が至る所に点在する。渓谷のほぼ中程に位置する能泉までは、トテ馬車で遊歩道の散策を楽しめる。日本二十五勝、平成の名水百選にも選定されている。桜・ミツバツツジ、新緑の春、紅葉の秋が特にお奨めで観光客が押し寄せる。名物のほうとう味くらべ真剣勝負は大勢の観光客で賑わう。

 日本三大朝市の一つとして知られる観光の町・輪島の朝市。 1000年前から続きを歴史を誇り、「買うてくだぁー」の呼び声で、地元で獲れた活きのいい魚介や海草類を安価で販売している。朝市で売られているのもには、ほんど値札がついていないので、値段は交渉次第。買い手も売り手も、このやりとりを楽しんでいる。能登半島の輪島市は自然も豊かで、山や海の幸が豊富。また祭りも1年を通じて盛んに行われており、ますます観光客で賑わっている。平成15年(2003年)には能登空港も開港し、大型の観光バスで朝市に訪れるツアーも増え、連日賑わっていおる。

 縦断するように木曽郡を流れる、木曽川の源流で知られる木祖村。緑豊かな村は、森林や清流を育む自然豊かな村で、自然を満喫するにには最適な場所。なかでも約80年の歴史を誇る水原天然林は、面積約82haの手つかずの天然林が整備され、推定樹齢200年を超える木曽ヒノキ、サワラなどの針葉樹とブナ、ナラ、トチノキなどの広葉樹が混生する全国でも珍しい天然林。また太古の森と原始の森と名付けた二つの散策コースや床並の滝までのトレッキングコースもあり、家族連れもにも気軽に満喫できると評判。他にもこだまの森ややぶはら高原スキー場あり、観光気分で自然を堪能できるのも一興。京都をはじめとする都会の観光地を訪れもいいが、自然を探索をしながら木祖村の自然に勤し木祖村の歴史に触れることもでき、気楽に観光パンフレットを持ち乍ら自然に触れてみよう。

 観光地・津和野にあって日本五大稲荷の一つに数えられる太皷谷稲成神社。その歴史は古く、安永2年(1773年)に津和野藩第7代藩主亀井矩貞が領民安寧の為、京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建した。これが始まりとされ、以後、歴代藩主からも崇拝を受けた。津和野周辺はもちろん西日本の各地に崇敬者が観光を兼ねて訪れている。 奉納された約1000本の鳥居が参道に並び、長いトンネルを造っています。 今や伏見稲荷神社をはじめ笠間稲荷神社、竹駒神社、祐徳稲荷神社と並んで日本五大稲荷に数えられ津和野の観光コースに数えられる。5月15日は春季大祭、11月15日は秋季大祭が開催。

 八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりの社があり全国の八幡宮の総本宮が宇佐神宮。御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕になったといわれている。神亀2年(725年)に聖武天皇の勅願により造立され宇佐神宮。伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として栄え、東大寺大仏建立や道鏡の神託事件など、国家の重要な事件の度にその神威を発揮し国と朝廷を護ってきた。本殿は八幡造という建築様式の代表例として国宝に指定され、他にも宝物館、宇佐鳥居、初沢池など見どころが多い。近頃では、本殿そばの神木の大楠がパワースポットして話題になっており、観光客が興味本位で訪れている。また九州でも知られている宇佐神宮は大型の観光バスで大勢訪れ、今や九州の観光コースには欠かせない存在となっている。

 欽明天皇の時代(6世紀)、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に、社殿が造られたのが始まりとされるいるが、実際は高千穂峰に対する山岳信仰から始まったものだろう。しかし火山の麓に位置する立地だった為、度々延焼し、天歴年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原)に遷されるが、この地も噴火の巻き添えで度々延焼した。現在の霧島神宮は文明16年(1484年)に、島津忠晶の命により兼慶が再建したもので、社殿は正徳5年(1715年)に島津吉貴の奉納で再建した。明治のは神仏分離令が発令されるまで、西御在所霧島権現と云われた。霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。また坂本龍馬が本最初の新婚旅行で霧島連峰で知られており、今日でも新婚旅行や観光で訪れる人も多い。神木の樹齢800年の杉の木は南九州の杉の祖先と云われている。

 世界中の有名建築物102点を25分の1に縮小再現し、一堂に集めたのが東武ワールドスクウェア。日本ゾーンには金閣寺などの歴史的建築物など、現代日本ゾーンには東京スカイツリータウン(R)など。アジアゾーンには万里の長城やタージマハルなど、アメリカゾーンにはエンパイアステートビルなど高層ビルなど、エジプトゾーンにはピラミッドやスフィンクスなど、ヨーロッパゾーンにはコロッセオやサグラダ・ファミリアなどがある。またプレイカードを利用すれば、ロンドン橋の開閉など見ることができる。建物の傍に置かれた人形の中には、有名人そっくりなものもあり観光客に好評。日本ゾーンに使われているミニチュアの木は、ほとんどが本物 の盆栽なので四季折々の変化が見られ、今や日光鬼怒川観光には欠かせない存在で、連日観光客で賑わっている。

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