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観光の四方山話

 埼玉県行田市の忍城は、関東7名城の一つに数えられる。戦国時代は熊谷市を本拠とする成田顕泰が、文明10年(1590年)に築城した。北は利根川、南は荒川、四方は沼に囲まれた扇状地に建てられた難攻不落の城と云われ、上杉謙信や石田三成の水攻めにも耐えた。江戸時代には、徳川家康が江戸の防備と要衝として、家康の四男松平忠康が入封させ、その後は老中格の幕閣の居城となった。 寛永16年(1639年)、時の老中阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手。孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設、城門、土塀の修築などが完成し面目を一新したという。しかし明治6年(1873年)の明治維新の際に壊された。昭和63年(1988年)に行田市博物館の開館と共に御三階櫓が再建。現在の忍城は平成4年(1992年)に再築された。現在は埼玉県の隠れた観光名所になっているが、他の観光地に見られるように、大挙観光客が押し寄せ右往左往するような光景ではない。

 平成8年(1996年)7月に関門海峡のランドマークとして誕生した海峡ゆめタワー。平成6年(1994年)に建設が始まり、平成8年(1996年)に完成。3層からなる球状の最上階の展望室は、日本有数の143mを誇り、今や山口県の代表的な観光スポットになっている。その展望室からは、瀬戸内海をはじめ関門海峡、巌流島、九州の連山そして響灘(日本海)と360度の大パノラマが一望に広がる。夜はライトアップされ関門橋や下関、門司港の夜景が満喫できる。観光バスやマイカーでの観光客で賑わいを見せている。観光バスの駐車場も完備。

 徳島県三好市西祖谷村に架かる祖谷のかずら橋。その歴史は古く焼く800年前の源平合戦に敗れた平家一族が、剣山平家の馬場の訓練の為に、架けたと云われている。野生のシラクチカズラやサルナシなどで編んだ吊橋長さ45m・幅2m・水面からの高さ14mになる原始的な吊り橋。最古のものは天保3年(1646年)の阿波国図には、7のかずら橋が存在した記録され、明暦13年(1657年)には、阿波国海陸度之の帳の写の祖谷紀行には13のかずら橋があったとされてりう。今日では19時~21時の間はライトアップしており、観光客が多く訪れている。また観光客もかずら橋の恐怖を体験する人も少なくない。徳島の隠れて観光スポットである。

 越後平野西部に位置する弥彦山(標高634m)の山麓に鎮座する弥彦神社。その歴史は古く万葉集にも歌われる古社で、、祭神の天香山命は越後国開拓の祖神として祀られている神社。社殿は明治の大火で炎上し、大正5年(1916年)に再築。宮中同様に鎮魂祭も石上神宮・物部神社と共に有名で4月1日と11月1日の年2回行われる。また平成大修繕として、本殿の御屋根葦替えなどの工事を85年ぶりに行った。今日では県内外から大型観光バスで参拝客が訪れている。また新潟県の観光名所にもなっており観光客でも賑わっている。

 日本三大仏に数えられる高岡大仏。はじまりは約800年前、 承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が、木造大仏を造営したことだと伝えられる。その後何度も荒廃や焼失といった危機にあったが、人々の願いにより再建を繰り返し今の形となった。総高15.85m、坐像の高さ7.43mの青銅製の大仏で、昭和8年(1933年)に建立。伝統産業高岡銅器の粋を集め、三十年の歳月をかけて完成した。また境内に市指定文化財の文化年間作の時鐘がある。奈良の大仏、鎌倉の大仏と並ぶ三大仏に数えられ、昭和8年(1933年)に訪れた与謝野晶子が鎌倉の大仏より一段と美男と評した。富山の隠れた観光名所として観光バスで訪れる観光客も増え、連日賑わっている。観光バス駐車ば完備。

 本堂は書院造で、単層入母屋造本瓦葺の巨大な屋根は壮観で、国宝・重文が多い。本堂、庫裏および廊下は国宝。正称は青竜山瑞巌円福禅寺で、承和5年(835年)開創と伝える臨済宗妙心寺派の寺院。江戸時代には仙台藩主伊達氏の菩提寺として栄えた寛政元年(1789年)の妙心寺派下寺院帳によれば、塔頭22カ所、末寺50カ所の大寺だった。平安時代の延福寺は、現在の瑞巌寺とは別の場所にあり、その位置は不明である。平成4年(1992年)の瑞巌寺境内発掘調査で、9世紀の製塩炉が見つかり、その場所が当時寺院ではありえないことが分かったが、延福寺の規模は意外に小さかったのではないかとする説もある。今日では松島の観光コースに入っており、連日観光客の参拝が耐えない。観光バスの駐車場完備。

 現在、日本に残る規模の整った古城で最大の城が姫路城。別名を白鷺城と呼ばれ親しまれ、また天守閣が残る城として国宝にも指定されている。その歴史は古く、1346年に赤松貞範が姫山に築いた小さな山城がはじまりであった。その後、歴代の城主たちが改築・改修を重ね、現在の城郭は慶長6年(1601年)に、池田輝政が八年の歳月をかけ建立した。元和元年(1618年)西の丸が増築され現在の形が完成した。太平洋戦争では、空襲を避けるように網を張り、カモフラージュした。歴代藩主のなかには秀吉の軍師・黒田官兵衛もいた。平成5年(1993年)には正世界文化遺産に指定されており、日本を代表する観光名勝の一つ。また海外の観光客にも好評で、観光し乍ら日本の伝統にふれている。観光バスの駐車場完備。

 奈良の大仏で親しまれている東大寺。金光明四天王護国之寺総国分寺大華厳寺とも云われ南都七大寺の一。東大寺要録によれば天平5年(733年)に若草山麓に創建された金鐘寺が東大寺の起源とされている。一方、続日本記によると神亀5年(728年)に聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くした息子の菩薩の為、若草山麓に山房を設け九人の僧を住まわせたこれが金鐘寺の全身と見られている。大仏の鋳造が始まったのは天平19年(747年)で、この頃から東大寺と呼ばれるようになった。聖武天皇は短期間に遷都を繰り返したが、都が平城京に戻ると大仏も現在地に定まった。この事業を推進する為、行基を大僧正として迎え入れた。平成10年(1998年)に世界遺産に登録され、増々参拝客や観光客が訪れている。また修学旅行には外せない観光スポットである。観光バスの駐車も完備。

 牛に引かれて善光寺参り知られ、観光の名所にもなっている善光寺。その歴史は古く、推古天皇10年(602年)頃に難波に捨てられていた仏像を本田善光が発見し、出身地の信濃国麻績の里(現在の長野県飯田市)に持ち帰って祀ったと伝えられている。その後、皇極天王10年(642年)に、現在の阿弥陀如来が長野市に移され、ここの建てられて堂宇が今の善光寺の始まり。本堂は撞木造と呼ばれる独特の構造を持ち、東日本最大の規模を誇り、江戸中期仏教建築の傑作で無宗派の単立寺院。これは日本に仏教が諸宗派に別れる以前の寺院で、宗派に関係なく位置づけられているからだ。本田善光が始めた飯田市に祀った寺院は元善光寺として現在も残っている。また七年に一度、御開帳も行われ観光をかねた参拝客で賑わう。大型観光バスの駐車も完備。

桂浜

 高知市浦戸半島の先端に位置し、弓形に砂浜が延びている桂浜。昔から月見の名所としても知られ、よさこい節でも唄われており、今や坂高地を代表する観光名所の一つになっている。北側の丘陵部には天正19年(1591年)、長宗我部元親が築城した浦戸城がある。しかし初代土佐藩の山内一豊がこの地は手狭と判断し、慶長8年(1603年)に高知城を築き、浦戸城は廃止となった。現在は坂本龍馬記念館や桂浜水族館、大町桂月記念碑などの文学碑が点在し、観光客が訪れている。また雄大な太平洋を前に遠くアメリカまでの重いを寄せる観光客もいる。

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