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観光の四方山話

 寛永2年(1625年)頃、讃岐領主の生駒高俊によって南湖一帯が造営され、寛永19年(1642年)松平頼重に引き継がれその以降は高松松平が5代に渡り約100年の歳月をかけて完成させた。明治に入り明治政府の管理下に置かれたが、明治8年(1875年)に県立公園となり、多くの人々が観光気分で訪れた。昭和28年(1953年)には国の特別名所にも指定され、県内外から観光客も増えた。平成21年(2009年)にはミシュラン観光ガイドに、わざわ訪れる価値がある場所として三つ星に選定され、日本を代表名庭園として国内外から脚光を浴びた。今や高松市を代表する観光スポットとなり、観光で訪れる人も増えた。

 お釜とは、宮城県蔵王と宮城県川崎町の境界付近に位置する火山湖で、五色沼とも呼ばれ、蔵王連山の観光スポットとして知られている。お釜は養和2年(1182年)の噴火により誕生したと云われ、文政3年(1820年)水が溜まり恥待てたと推定される。最新の噴火で大正7年(1918年)に噴気が発生したが、昭和4年(1939年)に水温が上昇した。しかし噴火に至っておらず湖底のに何カ所か気孔が存在し、火山ガスを継続して噴出が続いている。水は常に緑色に濁り、その色調は季節によって微妙に変化し、水質はpH=3.5の酸性で、生き物は一切生息していないが、エメラルドグリーンの火口湖は訪れる観光客も感嘆。大型観光バス駐車場も完備。

 青森と秋田の両県にまたがり、十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖。湖沼の大きさでは12番目の面積を誇り、最大深度326.8mは日本で3番目の深さ。十和田湖を源にすると奥入瀬渓流と並び、青森を代表する観光地。湖の中央には、胡桃を半分にした形をしている御倉山と中山半島の間にある、中湖と呼ばれる水域が最深部。また江戸時代より境界が不明確で、十和田湖の帰属が決められなかったが、平成20年(2008年)の北海道・北東北知事サミットで、青森、秋田両県と、湖面の境界線を青森県6:秋田県4という割合で最終合意した。新緑や紅葉の名所としても知られ、訪れた観光客には四季を満喫して帰る人も多く、一度は訪れてみたい観スポット。

 江戸時代末期に蝦夷地の箱館(現在の函館)建造された稜堡式の城郭。もともとは北方の防備の目的に建てられ、日本初のフランス築城の星型要塞で、幕軍と官軍の最期の戦いとなった箱館戦争の舞台で知られる。完成したのは元治元年(1864年)。徳川幕府の命を受けた蘭学者武田斐三郎が設計を手掛けた、国内初の西洋式城郭が五稜郭。かつて、海軍副総裁 榎本武揚率いる旧幕府脱走軍と、新政府軍が激しい戦闘を繰り広げた場所として知られるいる。大正3年(1914年)に五稜郭公園として一般開放され、春に約1600本のソメイヨシノなどが咲き誇る道南有数のサクラの名所。また人気の高い観光地・函館を代表する観光名所の一つである。平成22年(2010年)には函館奉行所復元し、観光客にも公開している。

 山梨県の南東部、富士北麓に位置し、四方を山に抱かれ忍野村。天然記念物の忍野八海はそんな高原盆地にある。約20年の歳月をかけ、富士山の伏流水を水源とする湧水池で、世界遺産富士山の構成資産の一部として認定され、県の新富嶽百景も認定されている。また八海の名は、富士講の人たちが富士登山の際に行った八回巡りからきている。八つの池には守護神の八大竜王が祀られ、忍野八海の特異な自然現象から訪れる観光客も多く、富士山周辺でも人気の観光地として知られる。宮下文書によると延暦19年~20年(800年~802年)にかけて富士山の延暦噴火で流出した鷹丸尾溶岩により、できたとも云われている。あまり目立たない鏡池や菖蒲池などを省く観光客もおり、ここは比較的に観光客も少ない。歴史は浅いが毎年8月8日には守護神の八大竜王を祀る八海祭りが行われる。しかし、周囲の環境は観光用の商店や施設などが建ち並ぶように観光地化が進み、人工池も造成され、特異な自然環境を楽しめる状況は失われつつある。

 栃木県の日光には、四十八滝と云われるほど滝が多いが、最も有名なのが華厳の滝。日光の観光スポットと云うより、日本を代表する観光スポットして海外からも脚光をあびている。中禅寺湖の流出口から水しぶきをあげて流れ落ちる様は、まさにダイナミック。高さ97mを誇り。和歌山県の那智ノ滝、茨城県の袋田ノ滝に並び日本の三大名瀑とも呼ばれている。滝を間近で観覧できるようになったのは、明治33年(1900年)、7年もの歳月をかけて星野五郎平が滝壷近くに茶屋を開いた。堅い岩盤をくり抜いたエレベーターが営業を開始したのは昭和5年(1930年)からである。周辺には中禅寺湖や男体山などの観光名所も点在し、大勢の観光客で賑わう。あら秋の紅葉のシーズンは、いろは坂が渋滞するほど観光客が押し寄せる。

山寺

 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ松尾芭蕉の句で有名になり、今や山形県の観光名所に欠かせないスポット。貞観2年(860年)に、清和天皇の勅願のよって、慈覚大師が開いた天台宗の名刹。正式名称は宝珠山立石寺で、山寺の名で親しまれている。1015段の石段を上るのは少し大変だが、半分ほど登った所には「せみ塚」が芭蕉の句が刻まれている。また嘉永元年(1848年)に再建された仁王門は、ケヤキの門で左右には仁王尊像が安置されている。堂の舞台からの景色の眺めは素晴らしい五大堂は山寺随一の展望台。国指定重要文化財の根本中堂は、延文元年(1356年)に初代山形城主・斯波兼頼が再建。入母屋造・5間4面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古と云われている。堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置され、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することができる。見所一杯の山寺は老若男女が、連日押し寄せる観光スポットになっており。また麓には観光客相手の土産屋も立ち並んでいる。

 約3000円の歴史を誇り、日本三古湯の一つに数えられ、日本最古の温泉とも云われる道後温泉。足を痛めた白鷺が、傷を癒したのが起源とされている。明治38年(1905年)に出版した夏目漱石の坊ちゃんにも登場し、18本の源泉から供給され、アルカリ性単純温泉で、温度は42前後で神経痛・関節痛・冷え症・疲労回復などに効能がある。明治27年(1894年)に改築した道後温泉本館は、平成6年(1994年)に公衆浴場として初めて、国重要文化財の指定を受け、今や愛媛県の代表する観光地になっている。近くには子規記念博物館や道後ハイカラ通り商店街などの観光スポットも点在する。また1800年代末に走っていた蒸気機関車を復活させた坊ちゃん列車も走っており、多様な見所も多い愛媛の観光地である。

 伊勢二見の観光名所で知られる夫婦岩。古来より日の出遙拝所として知られ、沖合700m先には、猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まると云われ、天平年間(729年~748年)に僧行基が江寺を創建し、興玉社を建て鎮守社とした。後に現在の二見浦へと遷座した。境内に夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされている。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られ、その間は9mもある。毎年、5月5日・9月5日・12月中旬土日曜日に大注連縄張神事が行われる。普段は車で通りかかって見ている夫婦岩を、この神事の時は大勢の観光客で賑わう見栄の観光スポット。

 博多の総鎮守である櫛田神社の大祭として知られる博多祇園山笠。その歴史は古く700年以上のの歴史を誇る櫛田神社の祇園大祭。福岡市街各地に飾り山笠や舁き山笠が飾られ、無事故を祈願する お汐井とりから始まり、見所は毎年12日の追い山ならし、13日の集団山見せでは、博多部から福岡部へと山笠が舁き入れらる。最終日 の追い山笠で、しめこみ姿の男たちが山笠を舁いて博多の町を疾走し、お祭りは最高潮に達する。現在は博多どんたく並ぶ博多を代表する祭りで、全国から観光客が大挙押し寄せる。博多祇園山笠期間中は旅館ホテルも取りづらく、マイカーの観光客は駐車場の心配があり、観光客には電車バスの利用を進める。

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