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観光の四方山話

 旭川の支流で星山(標高1,030m)を源とする神庭川に流れ込み、日本の滝百選にも選ばれている神庭の滝。落差110m、幅20m、落下する滝の豪快さは、西日本一の規模を誇り、国の名勝地、県立自然公園に指定され、春の新緑と秋の紅葉が見事で、年間11万人の観光客が訪れている。駐車場や遊歩道が整備され、歩いて約5分程度で滝下に着く。遊歩道脇には玉垂の滝があり、草葺き屋根から落ちる雨垂れに似た奇観が美しい。駐車場下には「滔々の滝」もある。周辺には野生のニホンザルが生息しており遊歩道で目にすることが出来る。岡山県の隠れた観光スポットで知られている。

 現存する天守12城の一つが彦根城。慶長9年(1604年)に井伊直政の子直継・直孝が、標高50mの金亀山に築城に着手し、20年の歳月をかけ完成。以後は、多くの大老を輩出した譜代大名の井伊氏の居城となり、別名金亀城とも呼ばれている。明治に入ると廃城令で破壊や売却されていくなか、明治天皇が巡幸で彦根を通過した際に、同行したい大隈重信が破却中止をを奉上し破却は免れた。今日では天守と付櫓と多門櫓が国宝。城郭は国の特別史跡及び琵琶湖国定公園第1種特別地域に指定され、滋賀県の観光には欠かせない存在になった。また、ゆるキャラのひこにゃんブームも相俟って観光客も増え、連日賑わっている。

 戦国時代の永生年間(1504年~1520年)に、松本平に井川館を構えていた小笠原氏が林城を築城し、その支城として深志城が築城したのが松本城の始まり。後に甲斐の武田が攻撃し、松本平を支配下に置いたが滅亡。その後は、武田遺領を巡る天正壬午の乱において、木曾義昌が支配したが、同年6月には越後上杉氏に擁立された小笠原旧臣の助力を得て、小笠原洞雪斉が奪還する。その後、石川数正・松平康長・水野家など藩主が変わる。文禄年間(1593年~1594年)に建てられた五重六階の店主が日本最古と云われている。明治の大改修後の昭和11年(1936年)に国宝に指定された。周辺は松本城公園として整備され、北アルプスを背にした姿は、松本のシンボルってより日本の国宝にに相応しく、連日観光客で賑わっている。大型観光バスの駐車場完備。

 群馬県沼田市利根町にある吹割の滝は、高さ7m、幅30m、奇岩が1.5kmも続き、轟々と音と共に落下する様は東洋のナイヤガラと云われている。この滝は、凝灰岩、花崗岩の川床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸蝕し、多数の割 れ目を生じた。それはあたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、"吹割の滝"の名が生まれた。その起源は900万年前に起こった火山の噴火によって、火砕流が冷固した溶結凝灰石が片品川の流れによって浸食されてできたV字谷。昭和11年(1936年)に天然記念物及び名勝に指定されている。群馬県を代表する観光名勝で観光客も多く、観光バスのツアーで訪れる人も多い。

 岩手県一関にある磐井川沿いの渓谷で、磐井川が巨岩を浸食し、甌穴・滝・深淵と表情を変え約2kmに及ぶ渓谷美が厳美渓。荒々しい流れと下流のゆったりした淵が対象的で、昭和2年(1927年)には名勝及び天然記念物指定に指定された。また古くから景勝地として知られており、一帯を治めていた伊達政宗や明治10年(1877年)には明治天皇が立ち寄っている。藤原一族が治めていた古都平泉が世界遺産に指定され、観光地として脚光を浴び、その人気の為か、観光客が90万人と急増した。同じ市内には猊鼻渓と類似した観光名所もある。

 大阪府と奈良県の県境に位置し、標高約1,000m前後の山々の総称。ユネスオの世界遺産に指定されており、その歴史は古く、弘仁7年(816年)に当時の帝・嵯峨天皇より、真言密教の根本道場を開くためにこの地を賜り、平安時代の弘仁10年(819年)に弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗で、比叡山」並び日本仏教の聖地。山内の寺院数は真言宗総本山金剛峯寺をはじめから117の寺院が点在し、その約半数が宿望を兼ねている。大勢の信者の方や、四国八十八カ所の霊場を巡ったお遍路さんたちをはじめ、世界各国から大勢の人々が観光を兼ねて参詣に来ている。また世界遺産以後、著しく観光客も増えている。

 高さ120m・幅73mの大きさを誇り、華厳の滝、那智滝と並ぶ日本三名瀑の一つに数えられる袋田の滝。四段の大岩盤から流れる様は、四度の滝とも呼ばれ、その昔、西行法師が訪れた際、四季に一度ずつ来てみなければ本当の良さはわからないと絶賛したからとも云われるている。厳冬期には結氷し、新緑期には紅葉期で多くの観光客で賑わいをみせる。平成2年(1990年)に行われた日本の滝百選では1位に輝いたほどで、奥久慈の観光には欠かせない。

 38部屋もある会津藩家老・西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財の旧中畑陣屋や数寄屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を並べる屋外博物館(ミュージアムパーク)。敷地内には当時の面影を再現したろう人形がリアルに表現している。そして会津歴史資料館、会津の代表的な仏画など展示した美術館や会津・福島の名品を揃えた総合売店。会津の伝統的な郷土料理が味わえるレストランなどが併設。赤べこや起き上がり小法師の絵付体験もできる。 また、会津武家屋敷、西郷頼母邸や会津の歴史など学びながら楽しく見学できる探検クイズカードを用意し、全問正解者には記念品贈呈。

 北海道西部に位置し、日本で9番目に大きい湖で、支笏洞爺国立公園の中にある洞爺湖。約11万年前に巨大な噴火が起こり、洞爺カルデラが形成された。東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖で、洞爺湖温泉や有珠山、昭和新山を要する北海道を代表する観光地地帯。湖の中央に浮かぶ4つの島を総称して中島(4.85km²)と呼び、これは約5万年の噴火によって造られた。また2万年前から洞爺湖の南岸で噴火が繰り返され、有珠山や昭和新山が誕生した。今日では年間400万人の観光客が訪れる。連日観光バスがフル活動している。

 参道は2kmあり、奥社は何百メートルもの断崖の真下に建てられています。霊山・戸隠山の麓を中心に創建された二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社。 現在の奥社は、孝元天皇5年(紀元前210年)と云われている一方、日本書紀の天武紀には684年に三野王信濃に派遣し、翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせたとある。明治に入ると明治政府によって神仏分離令や修権宗廃止令などが出され、その為廃仏毀運動が起き戸隠山顕光寺を分離し、神社と宗僧は還俗して神官となった。 当時戸隠の寺院に奉られていた仏像などは、戸隠近隣の村の寺院などに現在も祀られている。現在では名物の戸隠そばを目当てに訪れる観光客も多く、観光気分で参拝する人も増え、長野県の代表する観光スポットになっている。

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