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観光の四方山話

 織田信長の北伊勢攻略後,実弟の信包が、それまでの安濃津城を修築して、天正8年(1580年)に5層の天守を構えた。それが津城である。三重県津市の中心部位置し、北は安濃川、南は岩田川に抱かれた天然の大外堀になった。しかし関ケ原の戦の前哨戦で城主富田信高 が東軍に組したため、城は西軍の猛攻にあって陥落。慶長13年(1608年)築城の名手藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石を領して津城を再建したが、平城で天守は再建されなかった。城主も以後は,藤堂氏が襲して明治に至る。現在は城内に日本庭園と西洋庭園が造られ,藩校有造館の門が移築されている。津市の観光シンボルにもなっており、団体の観光客や少人数の観光客そしてカップルが訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 観光のメッカ三重県伊勢市にある神社で、正式名称天照大御神を祭神として、ご神体は三種の神器の一つ八咫の鏡。正式名称は地名のつかない神宮で、他と区別するため伊勢神宮と呼ばれている。皇室の御祖先の神である天照大御神がお祀りされており、垂仁天皇の26年(紀元前4年)に、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上にご鎮座された日本人の総氏神である。20年に1度の式年遷宮は1,300年間続いている。この地域遺体は三重県を代表する観光スポットが数多く、観光兼ねて参拝に訪れる団体観光客や少人数の観光客そして家族連れも観光客もも多い。大型観光バスの駐車場完備。

 伊勢神宮内門前町の真ん中にあり、江戸時代から明治時代の伊勢の様子が再現されている観光スポット。おかげ横丁の名前の由来は伊勢名物・赤福が創業の地で約300年商いを続けてこられた感謝の念と、江戸末期から明治初期にかけお伊勢詣り流行した おかげ参りに因んでつけられ、平成5年(1993年)に完成した。現在では伊勢志摩の特異産物や土産などを商う店が45店軒を並べ訪れる観光客に好評。団体の観光客や少人数の観光客そしてカップルの管区客が連日、参拝の後に訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 諏訪盆地の真ん中に位置し、長野件の観光の中心でもある諏訪湖。岡谷市、諏訪市、下諏訪町に股がり海抜759m、湖周15.9km、面積13.3㎡の信州一大きな湖。諏訪湖はかつて非常に水質のよい湖であり、江戸期には琵琶湖や河口湖からの蜆が放流され、鯉、鮒、ワカサギ漁も行われていた。大正11年(1922年)に日本初のフィギアスケートの公式試合も行われ、冬には諏訪湖特有の御神渡りが観られ、全国から観光客で賑わう。四季折々に様々な魅力に溢れる諏訪湖は、花火一色で彩られる観光で訪れた人々を魅了する。今日では長野県の観光ルートに欠かせない存在で、団体の観光客、少人数の観光客、家族連れの観光客で一年を通して賑わっている。大型観光バスの駐車場完備。

 徳川家康によって宿駅が定められ、中山道六十九次の内、江戸から42番目の宿場として栄えた妻籠宿。隣接する馬籠宿や馬籠峠を越える旧中山道史跡と並んで、木曽路を代表する観光名所として賑わっている。昭和51年(1976年)には国の重要伝統的建造物群保存地区rとして最初に選ばれた一つでもある。街道沿いに江戸時代の家並を見事に保存、総面積も日本一で長野県を代表する観光名勝でもあり、連日全国から大勢の観光客が押し寄せている。団体の観光客や少人数の観光客など観光バスやマイカーで訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 観光でも根強い人気の長野県山ノ内町にある温泉。一帯は湯田中渋温泉郷と呼ばれ、旅館35軒が建ち並び、外湯9カ所源泉の本数は37カ所も擁して、源泉も高温でそれぞれの泉質も異なり効能も異なる。石畳に木造の旅館が建ち並び、浴衣で闊歩するには相応しい温泉街で観光で訪れる観光客も多い。この温泉の歴史は古く、1300年前に行基が発見したと伝えられている。また戦国時代は武田信玄の隠し湯のひ一つでもあり、川中島の戦いで傷ついた兵士を療養させ、温泉寺も寄贈した。江戸時代には佐久間象山、小林一茶、葛飾北斎などの文人墨客も訪れている名湯で、団体の観光客や上人数の観光客そして家族連れの観光客が温泉を楽しんでいる。大型観光バスの駐車場完備。

 長野県の北部、志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置し、標高は850mで一年のほぼ三分の一が雪に覆われる厳しい環境。ここに世界でも珍しい猿専用の温泉があり、猿が入浴を楽しむユーモラスな光景を観察でき。昭和39年(1964年)の開苑以来、ニホンザルの興味深い生態を間近で観察でき、そして猿が温泉に入る光景が世界中の人々に愛されている。また多くの研究者や写真家、観光客も訪れており、冬場に猿が温泉に浸かる国際的な観光地として外国からの観光客も増えている。今日では長野県に欠かせない観光ルートになり、大勢の観光を兼ねた湯治客も多い。

 永禄9年(1566年)に、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜にして築いたと云われる墨俣一夜城。城跡には、当時の砦のような城ではなく、城郭天守の体裁を整えた墨俣一夜城の史資料館が、平成4年(1992年)に開館。この資料に基づいて墨俣築城と秀吉の歩んだ道を中心に展示構成とし、秀吉についての学習ができ、全国から観光をかねた観光客が訪れている。史実は、概要を知る程度でしたが、昭和52年(1977年)に、愛知県江南市の旧家・前野家古文書の中から、墨俣一夜城に関する貴重な資料が紹介され、その全貌が明らかになってきました。また墨俣一夜城桜の名所でもあり、春には団体の観光客や少人数の観光客で賑わう。大型観光バスの駐車場も完備。

 草津・有馬と並ぶ天下三名泉と称えられる下呂温泉は、今や岐阜県欠かせない観光名勝になっている。その歴史は古く、平安時代の天暦年間(947~957年)に湯ヶ峰の頂上付近で発見された。これが下呂温泉の始まりとされているが、しかし発見については諸説がある。いずれにしても下呂温泉は千年以上の歴史を誇り、織田信長が温泉にまつわるエピソードは少ないがないが、唯一天正6年(1578年)に信長公岐阜より飛騨へ湯治の節、関郷を通られ当家で休憩と羽渕家家系図に記載されている。歴史を尋ねての観光を目的の観光客も多く、まやパンフ片手に観光する観光客も目に付く。また団体の観光客や少人数の観光客も多い。大型観光バスの駐車場完備。

 合掌造りの建物が最も多く残る地域で、大小合わせて現在約100棟余りがある。合掌集落の規模としては全国で最大で、国の伝統的建造物群保存地区に選定されていたが、平成7年(1995年)にドイツベルリンで開催された、第19回世界遺産委員会で世界遺産に登録されたが、世界遺産に登録されてから観光目的の観光客が増えた。岐阜県白川村と高山市に分かれ、富山県の3村含まれている。この地区の建物は特異で、屋根が両手を合わせたような形になっていることから、合掌造りと呼ばれるようになった。これは豪雪地帯でも屋根に雪が積もらないようになっている、先人の知恵である。観光名勝の多い岐阜県でも、観光の人気スポットでも常に上位にランクされている岐阜に欠かせない観光ルートでもある。大型観光バスの駐車場完備。

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