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観光の四方山話

松島

 宮城県の観光には欠かせない存在の松島。松島湾内外に浮かぶ大小260余りの諸島と、湾を囲むようにしている丘陵を含めた、美しい景観が日本三景の一つになっている。その歴史は古く、平安時代から歌に詠まれたり、絵画に描かれており、よく知れ渡っていた。伊達政宗公縁の瑞巌寺、五大堂など、様々な寺院も点在する。あまりにも美しさを讃えた本も多く世に出回った。なかでも有名なのが、元禄2年(1689年)に訪れた松尾芭蕉が、旅日記の奥の細道で詠んだ「あ~松島や、松島や」は現在でも多くの人に知られている。随時運行小型遊覧船が就航し、島々の岩肌や松の枝ぶりを間近に見ることができ、印象に残る観光がせきる。

 新井田川の河口近くに位置する白壁、土蔵造りの山居倉庫。庄内米の貯蔵庫でその歴史は藩政時代に遡る。現在の倉庫は明治26年(1893年)に建てられたもので、土蔵造12 棟があり、倉庫前の船寄や裏手のケヤキ並木と相まって往時を偲ばせている。米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK連続テレビ小説おしんのロケーション舞台でも知られる。倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。高温防止の為に欅並木を配し、湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫。現在も現役の農業倉庫でだが、酒田の欠かせない観光スポットになっており、観光パンフレット片手の観光客が増えている。

 銀山温泉の開湯は古く、寛永年間にかつてこの地にあった延沢銀山の鉱夫たちが銀山川に湧く温泉を見つけた。
元禄2年(1689年)に銀山が閉山した後に湯治場として賑わったが、大正2年(1913年)の大洪水で、温泉街は衰退した。しかし地元財界の力で復興した。銀山川の両側には大正から昭和にかけ建てられた、三層四層の木造の宿がズラリと建ち並び、タオル片手の浴衣姿の湯治客がのんびり下駄をならして歩いている。またNHKの連続テレビ小説「おしん」の舞台となったことで全国に知られるようになり、当時を兼ねたの観光客が多くなった。今も大正時代の面影を色濃く残す街並が、ガス燈に照らされ情緒豊か風情を楽しめる。山形の隠れた観光名所で人気を博している。

 男鹿半島の西北端、北緯40度線上に位置する入道崎は、男鹿半島には欠かせない観光スポット。明治31年(1898年)に点灯を開始した灯台は、高さ27.92m、15秒間隔に発光する白い光は37km先まで照らし、船の安全に寄与している。緑の大地、紺碧の海は、白黒の縞模様が印象的な灯台と絶妙なコントラストは観光客を魅了させ、日本の灯台50選に選ばれている。また入道崎の字は「崎」「埼」「岬」などいろいろな字が使われているが正解は不明。まや夕陽の観光スポットとしても知られ日本の夕陽百選にも選定されている。

 岩手県と秋田県に股がる八幡平は、奥羽山脈北部の山群で、標高は1614m、40,489haの広さを誇る。なかでも岩手の八幡平温泉と秋田のトロコ温泉を結ぶ、全長約27kmの八幡平アスピーテラインからは、岩手山や八幡平に連なる雄大な山々の美しい景観を望める。昭和31年(1956年)、十和田八幡平国立公園に指定され観光客が増えた。八幡平には展望の素晴らしい山が3ヶ所あり八幡平三大展望地と呼ばれ、1周約1時間で廻れる遊歩ども完備されている。新緑は6月中旬、紅葉は9月下旬で、特にこのシーズンは訪れる観光客も多い。観光バスの駐車場も完備

 山口県の秋芳洞、高地県の龍河洞と並び、日本日本三大鍾乳洞の一つに数えられる岩手県の龍泉洞。総延長約1200mで、高低差は249mの規模を誇るが、実際の全長は20.5kmとも5kmとも云われ、昭和43年(1968年)に洞窟探検家が潜水事故を起こし、その後は調査はされていないので、予測数値である。第3地底湖の水深は98m、120m以上の第4地底湖など全部で7個の地底が確認されており、世界でも有数の透明度を誇り、洞内にある数多くの鍾乳石が待ち受け、訪れる観光客を魅了している。地底湖の水として昭和60年(1985年)に名水百選に選定されている。震災で一時観光客の数は減ったが、現在は観光バスで訪れている。

 津軽富士と呼ばれる岩木山の雄大な山影を、湖面に映す廻堰大溜池(通称:津軽富士見湖)の人造湖に架けられた鶴の舞橋。鶴田町を統治する城主と、町娘にまつわる悲恋物語が、昔話しのように語り継がれている伝説が残る優美な湖面に、全長300mもある鶴が羽根を広げたような、ユニークなアーチ型をしている三連太鼓橋は、平成6年(1994年)に日本一長い木橋として架けられた。鶴の舞橋を挟んで、富士見湖パークと丹頂鶴自然公園があり、冬には丹頂鶴も観る事ができる。鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとして、多くの人々に愛され、年々観光客も増えており、青森の新しい観光スポットとして注目されている。

 山陰海岸国立公園の西端に位置し、鳥取の観光には欠かせない鳥取砂丘。東西16km・南北2km・最高起伏47mに及び、すり鉢状に大きく窪んだスリバチと呼ばれる地形も有名で、大きなスリバチは40mの高さにもなる。す風速5~6mの風で作られる筋状の模様した風紋は、自然が創った芸術と称されている。三万年~十万年の歳月をかけ、風化した花崗岩が千代川によって流された後、海岸に集まり堆積したらしい。昭和30年(1955年)に国の天然記念物指定され、平成19年(2007年)に日本地質百選の選定された。観光用のラクダや観光用の馬車も闊歩鵜している。

 和歌山市の中心部に位置し、標高49mの虎伏山にある和歌山城。天正13年(1585年)に、豊臣秀吉が弟の秀長に命じて築城させ、その築城を担当したのが築城の名人藤堂高虎だった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで功績を残した浅野幸長が入城。元和5年(1619年)には、徳川家康の第10男・頼宣を藩主に命じ、紀州55万5千石の城となり、尾張・水戸と並び、徳川御三家の一つとして長い歴史を刻んだ。明治維新までの250年間、その天守閣の華麗な姿は維新後においても国宝に指定されていたが、戦災により焼失。現在の天守閣は、昭和33年(1958年)に再建された。内堀や城郭を巡らす石垣は400年の歴史をそのままに、往時の隆盛を偲ばせる和歌山のシンボルそして観光名勝として君臨している。和歌山を訪れる観光客は必ず訪れるスポットである。

 我が国を代表する観光地の津和野。ツワブキが生い茂る野が、名の由来と伝わっている。その昔、山紫水明のこの地に住みついた人々は、群生するツワブキの可憐な花に、清楚で高雅な風情に魅せられ、自分たちの住む里をツワブキの野と呼んでいたが「つわの」に転換していった。調査によれば、今から約9000年前の早期縄文時代から人々が住み着いていたのを確認されている。明治の文豪・森鴎外の生誕の地でもあり、今日の津和野は白壁と掘割と鯉で知られ、津和野の代名詞にもなっている。何気ない裏通りや民家の軒先にも城下町らしい風情が漂い、観光客を魅了している。一度は行ってみたい観光地の一つ。

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