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観光の四方山話

 石川さゆりの天城越えで一躍全国に知れ渡り、伊豆を代表する観光名所となった浄蓮の滝。天城越えのヒット前から知られていた名瀑で、狩野川の上流の天城山の北西部を流れる本谷川にあり、1万7000年前に鉢窪山が噴火した際に、流出した玄武岩溶岩流が流れ落ちる直瀑。高さ約25m、幅7mで玄武岩の岩壁から落ちる様は、迫力とともに清涼な風情が漂っている。歌や小説の舞台にも登場する滝として知られ、浄蓮シダなど原生林に囲まれ,夏でも肌寒さをおぼえる。滝壺には、女郎蜘蛛の精の化身が棲む伝説もあり、名前の由来は、かつて近くに浄蓮寺と云う寺院があったからと伝えられている。日本の滝100選にも数えられている。また熊本県のみ自生するハイコモチシダの群生地があり、静岡県の天然記念物にもなっており、連日観光客が押し寄せている。観光バスの駐車場完備。

 富士山の雪解け水が、地下水となって湧き出した柿田川湧水は、静岡を代表する観光名勝。誕生は約八千五百年前、富士山の爆発で大量の溶岩を噴出。この溶岩は箱根山と愛鷹山には挟まれた谷間を流れ、三島市やこの柿田川上流部までやってきた。これが三島溶岩流と名づけられた。水を通しやすい多孔質のため、富士山や御殿場に降り注いだ雨や雪は、地下水となって流下し、三島や柿田川に湧き水となって地表に現れた。湧水量は日に70万トンから100万トン程度で東洋一を誇り、一年を通して約15度前後で安定している。この規模のものは三島市の菰池、小浜池、水泉園や清水町の丸池などもある。柿田川は国指定天然記念物に指定されているが、かつては豊富な湧水を求めて工場が進出したため、水質が悪化し、魚も住めない状態になった。昭和55年(1980年)にナショナルトラスト運動が始まり、工場の移転や清掃活動が行われ、カワセミなどが生息する環境が戻された。一年を通して楽しめる観光スポットだが、夏に涼を求めたの散策は好評。

 安政6年(1859年)、横浜港が開港する前は横浜新田と呼ばれていた中華街。明治元年(1868年)に横浜に暮らす中国人、いわゆる華僑役1000人が居住し、関帝廟、中華会館などが設け中華街の原型ができた。明治32年(1899年)、居留地が廃止され人口は増加。20世紀初頭には5,000人に達し、華僑社会はさらに発展したが、大正12年(1923年)の関東大震災で、古いレンガ造りの建物が密集していた中華街は、壊滅的な打撃を受けた横浜華僑は200人ほどに激減。昭和に入ると華僑も3000人あまりに回復するが、昭和12年(1937年)の日中戦争で両国の関係は悪化し、多くの中国人は中国に撤退する。昭和20年(1945年)の終戦とともに復興が。翌年には関帝廟と横浜中華学校が再建され、中華街と改め今日に至っており、横浜には欠かせない観光コースとなっている。また全国から大勢の観光客が押し寄せ連日賑わいを見せている。大型観光バスの駐車場完備。

 JR青梅線御嶽駅より麓の滝本駅までバスで約10分。滝本駅から御岳山駅までの1,107mをケーブルカーが6分で結んでいる。滝本駅標高は437m、御岳山駅は標高831m。関東一の急勾配ケーブルカーで、平均勾配22度を一気に登る為、車体自体が平行四辺形になっているのが特徴。御岳山駅には展望台もあり、眼下には関東平野が広がり、訪れるハイカーや観光客を魅了する。また山頂には、創建は第10代崇神天皇7年と伝えられ御岳地獄神社があり、現在は日本三御嶽の1つに数えられている。またケーブルカー下車し、御岳平駅より大展望台駅まで御岳リフトに乗り2分で山頂へ到着。会社設立は昭和2年(1927年)で、首都圏からも短時間で来られる関東の観光名勝としても知られている。

 昭和61年(1986年)に、千葉県の人口が500万人を突破した記念し竣工した千葉ポートタワー。建物は地上4階で全長125m。スパッタリング製法という金属原子をガラスの表面に付着させた、製法ハーフミラーを使った透明ガラスで覆われガラスは5,571枚使用。1枚の大きさは横 1375mm×縦875mmもあり、シャープなデザインが印象的。1階は海洋展示室や千葉にちなんだお土産品やグッズを販売する観光物産館。シースルーのエレベーターを一気に100m昇ると3層の展望台からは千葉港をはじめとする素晴らしい眺望が楽しめる。今や千葉県の観光のシンボルとして親しまれ、県内外から観光客が訪れている。

 富士山を真正面に望む眺望と落ち着いた風情が人気の「こっちの湯」は、平成11年(1999年)にオープン。こっちの湯より2倍の広さを誇り、新日本三大夜景の甲府盆地を一望する「あっちの湯」は平成15年(2003年)のオープン。このた二つの日帰り温泉を擁する「ほったらかし温泉」は観光山梨を代表する日帰り温泉として人気を博している。あっちの湯は1500mの深層の破砕帯から湧出しており、PH値は10.1と高く、肌がすべすべになり、湯冷めし難い好評。 また宣伝やサービスもなし、勝手に楽しんで欲しいと「ほったらかし温泉」と命名された。その一方、地主が穴を掘ったところ温泉が湧出したが、地主は別に何とも思わず、ほったらかしていたから名付けられたと云う説もある。山梨に観光で訪れた人や地元の人で賑わっている。

 銚子半島の最東端に位置し、豪快な犬吠埼の突端にそそり立つ白亜の塔が犬吠埼。三方を海に囲まれた海食台地で、断崖絶壁の下は無数の岩礁があり、岩にブツかって荒波が砕ける様は見ごたえ充分。明治5年(1872年)にイギリスから招へいした灯台技師ヘンリー・ブラントンの設計、施工監督で着工し、明治7年(1874年)に国内24番目の西洋式灯台として完成。工事費用は当時のお金で4万5千円余りだった。現在、犬吠埼灯台は、気象を提供する船舶気象通報、人工衛星(GPS)の誤差情報を提供する、ディファレンシャルGPS局などの業務も併用する最大級の灯台で、船舶が安全で経済的に航行ができるよう日々点灯している。銚子観光のシンボル的存在の犬吠埼灯台で、天気の良い陽には観光客も大勢訪れ、太平洋の海原を満喫している。

 平将門の乱の平定のため、朱雀天皇の天慶2年(939年)に寛朝大僧正によって当地に還座、成田山が開山された。本尊の不動明王は平安時代、嶬峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼、敬慮な祈りを込めて彫り開眼した。朝夕に天下泰平・五穀豊穣・万民豊楽の護摩法を修せられた霊験あらたかなご尊像。成田のお不動さまの愛称で親しまれる成田山新勝寺は、真言宗智山派の大本山で。1,000年以上の歴史を誇る全国有数の霊場で、成田を代表する観光地であり、正月三が日には約300万人の参拝客が訪れる。また歌舞伎役者の市川団十郎成田不動に帰依して成田屋の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を演じて、成田不動は庶民の信仰を集め、成田参拝が盛んになる。門前町の商店街には訪れる観光客や参拝客で賑わいを見せている。大型観光バスの駐車場完備。

 天長7年(830年)に、慈覚大師円仁により創建された星野山無量寿寺が始まりと伝わる喜多院。慶長17年(1612年)、徳川家康の信任を得る天海僧正が、住職となる。喜多院となったのは、三代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築した。その結果江戸の大火の焼失を免れ、江戸城唯一の遺構として残された。客殿や書院には家光誕生の間、春日局化粧の間と伝えられている部屋もある。これらは慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されてる。現在、数多くの文化財や正月3日の初大師・だるま市、五百羅漢などの見どころや行事があり、川越大師として全国の観光客にも親しまれ、川越の欠かせない観光名勝でもある。

 鉢形城の歴史は古く文明8年(1476年)に関東管領だった上杉氏の家臣長尾景春が築城したと伝えられている。天正18年(1590年)には豊臣秀吉の小田原攻めで、後北条氏の重要な支城として凌いでいたが、前田利家・上杉景勝らの強力な攻めに、1ヶ月余りに及んだ篭城もついに開城した。開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一や日下部定が代官となりこの地を統治した。 戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年(1932年)に国指定史跡となった。昭和59年(1984年)からの寄居町による保存事業が開始され、現在は鉢形城公園として整備され、鉢形城歴史館が設置されている。派手さはないが知る人ぞ知る寄居町の観光名勝として注目され、年々訪れる観光客も増えている。

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