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観光の四方山話

 菅原道真が無実の罪で配流され、延喜3年(903年)に太宰府で死去。その後、都では落雷などの災害が相次いだ。これは道真の祟りだと噂が広まり恐れられた。没後20年目に、朝廷は道真の左遷を撤回し、正二位の官位を与えた。永延元年(987年)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念された。この時から北野天満宮天神の神号が認められ、寛弘元(1004年)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきた。天歴元年(947年)、朝廷によって北野に道真を祀る社殿が造営された。国宝の本殿は慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が造営したもので、八棟造と称され絢爛豪華な桃山建築それ以後、天神さん・北野さんと呼ばれ福岡の太宰府天満宮と並び天神信仰の中心となり、全国天満宮の宗祀(本社)の神社として君臨し、京都の観光コースにはいっている。境内には御土居の名残があり、史跡に指定されている。京都の観光名勝に入っており、連日観光客などの参拝が耐えない。

 観光都市京都の代表する観光名勝でもある二条城は、徳川家康が御所の警護と将軍上洛時の宿舎として、慶長8年(1603年)に築城。寛永3年(1626年)三代将軍徳川家光が増築し、今日の様相となった。東西約500m、 南北約400mに塁を築き堀をめぐらし、現存する二の丸御殿は国宝に指定され、6棟からなる武家風書院造。部屋の障壁画は狩野一派の名作。彫刻、飾金具を含め桃山美術の粋を伝えている。本丸御殿は天明の大火(天明8年・1788年)で焼失。現在の建物は京都御苑内にあった旧桂宮御殿を移築したもので、重要文化財である。また慶応3年(1867年)に15代将軍徳川慶喜が大政奉還を決めた所としても知られている。平成6年(1994年)には古都京都の文化財として世界文化遺産に登録され、連日観光客で賑わっている。大型観光バスの駐車場完備。

 全国に約450社の貴船神社の総本社で、本社は京都市左京区鞍馬貴船町にあり、京都を流れる鴨川の水源地に鎮座している。御祭神はタカオカミ神が祀られ、地域名の貴船(きぶね)と違い、水の神様であることから濁らず「きふね」という。創建年代は不詳ながら、天喜3年(1055年)に元々の御鎮座地より現在地の本宮の遷へ移されたという。水の供給を司る神様をお祀っており、創建年代は不詳ながら、平安京遷都以来、水源を守る神として、皇室からも格別の崇敬を受けてきた古社。日照りや長雨が続いた時には雨乞いをしたとして知られている。縁結びの神として、小説や漫画の陰陽師の人気もあり、若いカップルや若い観光客で賑わう一方、縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名。また涼を求めての川床料理が有名で、全国から観光客が押し寄せ、京都の観光コースからはずせない存在。

 京都大原にある天台宗の寺院で、天台三門跡の中でも最も歴史が古く、伝道師の最澄が延暦7年(788年)に比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷の梨の大木の下に一字を構えたのが始まり。延暦寺の西北にある大原は、古くから朝廷とのゆかりが深く、延暦寺の強い影響を受けた里。周囲は城郭を思わせる重厚な石垣がめぐらされ、門跡寺院らしい風格があり、藤原時代を代表する往生極楽院(重文)もある。内陣に珍しい大和座りの両脇侍の阿弥陀三尊像(国宝)を安置している。自然の巧みに利用した境内は、客殿や宸殿が建ち、有清園・聚碧園と呼ばれる京都有数の二つの美庭は見物。特に苔庭と新緑や紅葉は美しく、桜や紫陽花、紅葉の季節の他に、雪景色の三千院も素晴らしく、季節ごとの叙情をかきたてる。京都観光からは少し離れたいるが、根強く観光客には人気があり、雪降る大原を廻る観光も一興である。

 全国3万社におよぶ稲荷神社の総本宮で、重厚な社殿や摂末社が建ち並び、五穀豊穣、商売繁盛の神として庶民信仰を集めている。鎮座は和銅4年(711年)と古く、食物・蚕桑あるいは諸願成就の神、中世から近世にかけて商業神・屋敷神へとご神徳も拡大。重要文化財の本殿は明応8年(1499年)に再興。また本殿背後より奥社に通じる参道には、数多くの朱塗りの鳥居が千本鳥居と呼ばれ、稲荷山の神蹟を巡拝するお山巡りは約4km。平成23年(2011年)には、御鎮座1300年を迎えた。5月3日(還幸祭)は稲荷祭で平安朝からの伝統で同社最大の祭典。5基の神輿が南区西九条のお旅所に渡御し、還幸祭に京都駅周辺~松原通まで拡がり、氏子区域を巡幸して帰社し、観光客からも注目されている。外国人が行ってみたいベストテンで1位に、なっているほど国内外から観光名勝になっている。伏見稲荷まで道筋には土産店などの店が並び、土産目当ての観光客に好評。

 平成24年(2012年)にオープンした京都水族館は、高性能濾過システムで造られ人工海水を使用し、これは我が国で初の人工海水水族館。京都の梅小路公園の中にできた水族館で、日本最大級の内陸型水族館でもある。京都の樹木を配し館内には、地元を流れる鴨川に生息する国内最大のオオサンショウウオの展示コーナーをはじめ、ゴマアザラシやケープペンギン、イルカスタジアム、魚眼レンズのある大水槽など楽しめるスポットが目白押し。川と海の生き物を約250種・総数約1万5000匹を展示し、水槽総容量は約3,000屯。京都水族館では、展示だけではなく、京都の自然や歴史を遊びながら学べる。京都には珍しい観光スポットで、全国から観光をかねた観光客で賑わっている。

京都府北部に位置し、日本海の宮津湾にある天橋立。陸奥の松島・安芸の宮島とともに、日本三景と云われ京都府には欠かせない観光名勝である。ロープウエイで展望所まで登り、股のぞきから覗くんと、天へかかる橋のように見える。古風土記によると伊射奈芸命が天に通う為の梯子ようなので、天浮橋と名づけられ天上と地上を往来したと伝えられている。天橋立は宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6kmに及ぶ湾口砂州とされ、砂嘴の幅幅20~170m。砂地には約8000本の松が茂り、その姿はあたかも天に舞う架け橋のよう。天橋立の中で船が通ると90度回転する珍しい廻旋橋もあり、観光には最適で、連日観光客で賑わっている。

 昭和28年(1953年)に京都中央郵便局の移転が決まり、国際観光都市たる京都の表玄関に相応しい京都タワーが決まった。昭和39年(1964年)に開業し、台座となる京都タワービルの含めた高さは131mを誇る。この高さは当時の京都市の人口に因んでおり、独特なスタイルは海のない京都を照らす灯台をイメージしている。エッフェル塔や東京タワーなどと違い、一切鉄骨を使用しない、厚さ12mm~22mmの特殊鋼板シリンダーを溶接で繋合わせ、 円筒型の塔身としているモノコック構造である。タワーの展望台からは市内はもちろん、天気の良い日には大阪湾までも望める。平成26年(2014年)には、開業50周年に向けた回収工事や外壁工事を行い4月1日はリニューアルオープンし観光客に好評で、観光の街京都には欠かせない存在。

 滋賀県の面積の6分の1を占め、日本最大の面積と貯水量を誇る琵琶湖。湖水は瀬田川・宇治川・淀川と名前を変え大阪湾に流れ出ており、京都市の琵琶湖疎水から取水し水は、淀川流域の上水道に利用され、関西の水瓶としても大きな存在である。またこの川は古くから水上交通路としても利用され、明治時代に鉄道が開通するまで京都や大坂への物資輸送にも利用されていた。湖を渡るには、現在の草津と大津の間の矢橋の渡しを利用するしか方法はなかった。しかしこの渡しは天気に左右され、死亡事故が多く発生する為、急ぐのなら瀬田の唐橋を廻れと云うことから「急がば廻れ」の諺の語源になった。今日ではクルージングやボート遊び、湖沿いの散策など自然を楽しめるレジャー注目され、観光スポットにもなっている。昭和25年(1950年)には国定公園に指定され、多くの観光客が訪れ、琵琶湖八景など風光明媚な景観に魅了されている。

 織田信長が天正7年(1579年)に丹羽秀長に命じ、3年の歳月をかけ完成させたのが安土城。標高約200mの安土山山上に築いた城は、五層七階の大型の天主閣で、金の鯱を乗せたのも初めてだった。 安土城に限り天守閣ではなく天主閣と呼び、ヨーロッバや中国文化の影響を受けた色彩豊かな名城。これは安土桃山時代から江戸時代にかけて造られた城の模範となった。天正10年(1582年)に本能寺の変で、明智光秀軍が安土城を占領したが、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智軍は退去した。その際に天守・本丸など重要な建造物に火をつけた。その後、二の丸を中心に信長の嫡孫秀信が在城したが、天正13年(1585年)に廃城された。幻の名城と云われた安土城を原寸大に再現したのが、伊勢安土桃山文化村に現存し、観光客に人気を博している。大型観光バスの駐車場完備。

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