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観光の四方山話

 緒方川の流れにある瀑布で幅120m、高さ20mの規模を誇る原尻の滝。緒方平野に突如現れるこの滝は、東洋のナイアガラと呼ばれ、今から約9万年前に阿蘇山の大噴火で流れ出た溶岩が滝周辺で堆積したことから始まる。堆積した溶岩は、多角形の亀裂が入った溶結凝灰岩の上面を観察でき、滝上には吊橋がかかっており、滝つぼを見下ろす崖の縁まで容易に近づくことができる。滝の約500m上流には大正12年(1923年)に建造された5連型アーチの石橋・原尻橋があり、原尻の滝周辺の水田では、休耕期を利用したチューリップが約50万本植えられており、観光客に好評。日本の滝100選や大分県百景選ばれている名瀑で、大分の観光スポットになっている。またチューリップの開花期にはチューリップフェスタが行われ、連日県内の客や観光客で賑わいを見せる。

 豊臣秀吉の家臣・寺沢志摩守広高が唐津藩初代藩主となり、慶長7年(1602年)から7年の歳月を費やして築城。唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山の山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城。天守閣を中心に西に西の浜松原、東に虹の松原を鶴の両翼広げたよぷに見えることから、別名・舞鶴城とも呼ばれている。舞鶴橋から見上げる、その美しさは素晴らしかった。現在の天守閣は昭和41年(1966年)に完成したもので、中は郷土資料館や名護屋城、唐津城,松浦水軍,隠れキリシタンについての考古資料や藩政資料,考古出土品とともに唐津焼の資料が展示してあり、唐津の歴史に触れられる。今日は唐津の観光名勝で。多くの観光客が訪れている。大型観光バスの駐車場完備。

 平成2年(1990年)に、新日本製鐵(現:新日鐵住金)八幡製鐵所の遊休地を利用して、宇宙のテーマパーク・スペースワールドが開業。日本で初めての宇宙テーマパークで、園内には実物大のスペースシャトル・ディスカバリー号、小さな子どもから楽しめるコースターなど、アトラクションが盛りだくさんで、6つのパビリオンと8つのアミューズメント施設などからなっている。また、スペースドームには宇宙旅行の擬似体験施設で、月世界旅行、太陽系遊覧、ブラックホール探険の3つのツアーが設定されている。他にアミューズメント施設として、フリーフォー ルGO、スターシェイカー、流星ライナー「タイタン」、惑星アクアなどがあり1日たっぷり楽しめる。また高さ100m、直径80mの大観覧車・スペース・アイが根強い人気を博し、こども連れの家族や観光客にも好評。北九州の観光に訪れた観光客の観光スポットになっている。

 維新を先導した吉田松陰が殉節されてから31年後の明治23年(1890年)に、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われた。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る小さな祠が建立された。これが松陰神社の前身である。明治40年(1907年)に伊藤博文らによって松蔭神社建立され、境内には国指定史跡の松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅、遺墨展示館・吉田松陰歴史館なども建ち並んでいる。戦後の社会情勢が落ち着き、厚東常吉などが中心となり、新社殿屋根を銅版に葺き替えなどの改修工事で、昭和30年(1955年)に御祭神が新社殿に遷座された。翌昭和31年(1956年)には、旧社殿を新社殿北隣に移し、末社・松門神社が建立。平成22年(2010年)、松陰先生御生誕180年記念に10柱を追合祀し、現在その御祭神は52柱がある。歴史を訪ねたの観光には欠かせない観光スポット。大型観光バスの駐車場完備。

 昭和45年(1970年)に、日本で最初指定された海中公園が串本海中公園。公園内にはトンネル式大水槽・サンゴ水槽・子ガメの水槽などの水族館や海中展望塔をはじめ半潜水型海中観光船ステラマリス、本格的なダイビングや体験ダイビング施設串本ダイビングパークがあり、和歌山を代表する観光スポットである。 またテーブルサンゴなどのサンゴ類の群生・コーラルフィッシュが見もので、世界最北限のサンゴ群落と云われ、海域は平成17年(2005年)ラムサール条約に登録され、観光客には好評。大型バスの駐車場完備。

 西国三十三所観音霊場第2番目札所の紀三井寺。寺号は紀三井山金剛宝寺護国院で、宗教法人としては護国院だが、古くからは紀三井寺は真言宗山階派に属している。この寺の歴史は古く、1230年前の宝亀元年(770年)に唐僧・為光上人が東シナ海を渡って唐国より到来。夜半に名草山山頂から霊光を観じて翌日登山し、千手観音様の尊像を感得。この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりと歓び、十一面観世音菩薩像や自ら一刀三札のもとに刻み、一字を建立して安置した。それが紀三井寺の起源とされている。その後、歴代天皇の御幸や後白河法皇が当山を勅願所と定めてから隆盛を極め、鎌倉時代には僧侶も五百人を越え、江戸時代には紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され、紀州祈祷大道場として尊這崇した。また三つの井戸があることが寺名に由来し、境内には約600本の桜の木が植えられており、関西一の早咲きとして有名。朱塗りの楼門を潜り、231段の石段を登りつめた境内からは和歌浦が一望できる。昭和23年(1948年)救世観音宗を開創して本山より独立し、今日では和歌山を代表する観光名勝となり、連日観光客で賑わっている。

 那智川にはいくつかの渓流と48余りの滝が存在し、那智四十八滝とも云い、瀧篭修行の行場であった。なかでも一の滝と呼ばれるのが那智の大滝。落差は133m、滝幅13m、滝壺の深さ10m、一段の滝の落差としては日本一の規模を誇っている。毎秒1屯もの水量は日本一にふさわしい迫力で流れ落ち、訪れる観光客を魅了している。また滝の落口の岩盤に切れ目があり、三筋に分かれて流れ落ちるので三筋の滝と呼ばれている。昭和47年(1972年)に国の名勝に指定され、平成16年(2004年)には紀伊山地の霊場と参詣道の一部として世界遺産に登録された。毎年7月9日と12月27日には、飛瀧神社の御滝注連縄張替行事が行われ、大勢の観光客で賑わう。華厳の滝、袋田の滝と並び日本三大名瀑に数えられ、和歌山を代表する観光スポットになっている。

 標高は353.7mの山頂に、嘉吉3年(1443年)山名宗全が13年もの歳月をかけて造った武田城。天正~慶長の初期 (1600年頃)に今現存する石積みの石垣や城郭ができた。その石垣は東西約100m、南北約400mにも及び、往時の威風を感じさせている。また山名宗全は室町後期の武将で、京都を舞台に10余年あまりも戦われた応仁の乱の西軍の中心人物だが、決着をみないまま陣中で没した。竹田城跡は、山城遺跡として全国でもまれなほど完存しており、それは虎が臥せているように見えることから虎臥城とも呼ばれている。但馬地方の風物詩の朝霧が雲海となり、武田城跡から見下ろす風景は、天空に浮かぶ城を思わせるので、日本のマチュピチュと云われるており、兵庫県の観光スポットになっており、連日観光客が押し寄せている。平成24年(2012年)には恋人の聖地の認定を受け、恋人の聖地にあやかろうと、若いカップルや観光客にも人気を破棄している。

 岩国城と城下町を繋ぐ橋が、錦川の洪水で幾度となく流された。3代目領主の吉川広嘉が、洪水に耐えられる橋の造営に着手した。広嘉は明の帰化僧である独立性易から、杭州の西湖に6連のアーチ橋があることを知り、連続したアーチ橋という基本構想に至った。アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられると発想し、大工の児玉九郎左衛門に命じ、延宝元年(1673年)に5連のアーチ橋の錦帯橋が完成した。しかし翌年、洪水によって流失してしまったので、橋台の敷石を強化して再建した。この改良が功を奏し、昭和期まで250年間以上流失することなく残った。また定期的に架け替え工事が行われその姿が保たれた。橋は長さ193.3m幅5m。 木と木の組合せによって支えられ、巻金とかすがいは使われてる。現在の橋は四代目となる。また桜の名所として吉香公園とともに日本さくら名所100選に選定されており、この時期は特に観光を兼ねた観光客も多く賑わう。大型観光バスの駐車場完備。

 安芸大田町を流れる、太田川上流の田代川と柴木川の峡谷一体の総称の三段峡。県北東部の帝釈峡と並び渓谷美を競い、匹見峡や寂地峡と共に西中国山地国定公園を代表する景観である。名勝原生林の間に石英斑岩,花岡岩が浸蝕された特別地にあり、長さは約16kmで、見所は黒淵、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝らの五つの景観と二つの淵が七景として知られ、見応え十分。特に春の新緑と秋の紅葉の時期の美しく、大自然の芸術品と云える。景観は軽装でも気軽に散策でき散歩道があり、名勝に指定された観光スポット。新緑や森林浴そして紅葉などを目当てに観光客が訪れ、広島を代表する観光地になっている。地元鉄道が廃線の影響で観光客が減少し、観光関係者は危機感を感じている。

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